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評者◆高橋宏幸
書くこと、『書く女』について――二兎社公演『書く女』(@世田谷パブリックシアター)
No.3274 ・ 2016年10月15日




■樋口一葉をモデルにした演劇の作品としては、井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』が有名だ。一葉をモデルに史実に沿って物語を描きながら、後の『父と暮らせば』にも通じる幽霊を登場させて、ユーモアを交えて世の中の常識や矛盾を問おうとする。何度も再演されて、今夏も上演された井上作品の代表作の一つだ。
 しかし、二兎社を主宰する永井愛が再演した『書く女』という作品は、同じように一葉をモデルに物語が描かれているとしても、さらなる踏み込みがある。どれだけ起伏に富んだポピュラリティ溢れる物語であっても、観客に最終的にあるテーマを伝えようとする井上作品に対して、『書く女』はたとえ直線的な物語であっても、書くことそれ自体をめぐる問題が根底には潜んでいる。
 もちろん、『書く女』も一葉の足跡を追う物語ではある。それは、まるで日本近代文学史を見ているようだ。半井桃水への弟子入りと恋、「萩の舎」での富裕層の友人たちとの交流、『文學界』などでの小説の連載、いまは一葉記念館のある竜泉で荒物屋を開くなど、晩年の作品までの軌跡が丹念に描かれる。むろん、会話はフィクションだが、そこでは、いまとなっては一葉の恋の相手としか思われていない半井の朝鮮に向けたまなざしや、斎藤緑雨に近代文学の岐路である言文一致を一葉はどのように対処したのだろうかと話させるなど、当時の文学や社会背景である韓国併合や日清戦争といった時代状況がさりげなく入れ込まれる。それは、リアリティを与えることはもちろんだが、永井のもつ樋口一葉という女性像と作品への読み方が現れている。
 ここには薄幸な女性というイメージはあっても、職業作家への道を選び、黎明期の女性作家の一人となった、貧困であれ、恋愛であれ、女性が書くというなかで生きることが強く押し出される。夏目漱石は、「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」と述べたが、そこにある言葉も男子であるように、貧困のみならず、女性が書くことを選ぶとはどういうことなのか、に重点が置かれる。それは富裕層と貧困層という階級的な視点を押しだし、悲惨さをユーモアで救おうとする井上作品との違いだ。
 世田谷パブリックシアターで上演された『書く女』は、三段ほどの層となっている舞台で、それぞれの場所で演技がなされる。一番低い舞台で座ってなされる一葉の家族のやりとりは、小津安二郎の映画を思わせるような低さで、客席の場所によっては視点が並ぶようになる。だから、家塾「萩の舎」で学び教えていた頃から、果てなき没落をしていくような一葉とその家族の姿は、より鮮明に印象づけられる。その過程は徐々に逼迫した雰囲気を纏っていく。
 当初は、貧困から抜けだすために原稿料を得ることが目的としてあったが、全くあてにできないことがわかってくる。名声を得て、文壇のなかで地位を築きはじめても、それは同じだ。その頃にいくつもの代表作が書かれたとしても、状況は好転しない。しかし、それは小説を書くことで貧困を抜けだそうとした、手段としての小説を書くことから解き放たれていく過程だ。いわば、なぜ書くのかということにまで至る。
 再演では黒木華が一葉を演じたが、まだ未来を夢見られた頃から竜泉へと引っ越して、代筆屋をやり、死の影をまといながらも書くことを止めない、晩年の一葉を鬼気迫る勢いで演じている。それは、一葉の最後の台詞を「さあ、次はなにを書こうか」と言わせたことにも繋がるだろう。この作品は一葉の伝記的な作品というだけでなく、ある状況のなかで、もはや何らかの目的のために作品を書くことを超えて、まるで書くこと、それ自体が生きることであり、それは文章を書くものにとって、一つの頂ともいえる場所を提示している。生きるために書くのではなく、書くことが生きることなのだ。そこには、重ねるべきではないが、作家である永井愛自身の姿をも思わせてしまう。







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