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評者◆伊達政保
好きな音楽を皆好きなように楽しむ――渋さ知らズ・ヨーロッパツアー報告第二弾
No.3274 ・ 2016年10月15日
■渋さ知らズ・ヨーロッパツアー、イギリスからバスでドーバートンネルを抜けベルギーへ。ブリュッセル近郊のファームで2泊。そこのスタッフの女性が、以前スイスのジャズ・フェスを手伝い、そこで渋さを聞いて感激し、泊まるならぜひ演奏をしてほしいとのことだった。当初PA無しの予定が、ネットワークを通じて楽器や機材が集まり、本格的なライブとなった。観客も子供達からお年寄りまで幅広く、舞踏やダンスに目を奪われながら本当に演奏を楽しんでいた。家族的歓待の後ドイツへ。
ベルリンとハンブルクの中間にある湖沼地域の飛行場跡地で行なわれるフュージョン・フェスティバル。かつての東ドイツで、戦前はドイツ空軍基地、戦後はソ連軍に接収されソ連軍基地となり返還後は廃墟となった。二年に一度開催されるこのフェス、ヨーロッパでも殆ど知られていない。ドイツを含め十数度ヨーロッパツアーを行なってきた渋さ知らズも知らなかったという。スポンサーを付けず、7万枚のチケット売り上げとそこからの6千人のボランティア(食事券が出る)で運営されているという。宣伝もポスター配布とリストバンドの裏に記載された次回のスケジュールのみ。当然インターネットにはアップされているがね。それでもチケットはすぐに売り切れるという。 会場には戦闘機の掩蔽壕を利用した幾つものステージ、それ以外の中小テントステージ、20以上もある。また、巨大なオブジェや中小のアートが広大な会場に所狭しと並んでいる。掩蔽壕に登り、周りを見渡すと、観客の数千ものテントが建ち並び、スタッフも出演者も宿泊は全てテントだ。建物を模して造られたステージや巨大オブジェは、スターリン建築をカリカチュアしているようだし、ステージに掲げられたフュージョン(ФУЗИОН)の文字はキリル文字ではないか。オイラ十数ヵ所のヨーロッパのフェスを見てきたが、こんなフェスは見たことが無かった。全体印象はまるでロシア・アヴァンギャルド。渋さのバンマス不破大輔はまるでアングラのジブリだと言っていたが、まさに。 パンフレットを見て驚いた。ローザ・ルクセンブルグの肖像画が載っているではないか。そうか、やはり旧東ドイツの新左翼系のイベントなのか。どうりで会場の要所には赤旗が翻っていたっけ。知られていないのも、その辺にあるのかもしれない。東ドイツの旧左翼は体制側であり、統一後その一部はネオ・ナチに流れちまったしね。会場で提供される食事はベジタブルのみ(乳製品はOKというのは意外)、ただ酒もマリファナも皆大量に楽しみ、好きな音楽を皆好きなように楽しんでいた。 ――つづく |
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