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評者◆谷岡雅樹
マイナス磁場の輝き~目も眩むブラックホール――エイミー・バーグ監督『ジャニス‥リトル・ガール・ブルー』
No.3271 ・ 2016年09月17日




■死のその時、彼女はネガティブ志向の自分から解き放たれていたのか。抗い切れぬ時代の波と手に負えぬ群衆の力と背負わされたイメージの巨大さに、自らも決着を付けねば前に進むことは出来なかった。だから、その死は前を向いたままの時間停止であったろう。
 生きながらにして葬られ、死してなお刻まれる哀哭のブルース。誰からも愛されているような気がした。ジャニス・ジョプリン(以下ジャニス)のことだ。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な一〇〇人のシンガー」において第二八位(白人女性では第一位)。ジャニスの死後四〇年での投票結果だ。愛されているではないか。愛されすぎて……。そんなジャニスの新作ドキュメント映画がやってきた。
 私にはロックに憑かれた半生の連れ合いがいる。彼女はジャニスを聴かない。理由を尋ねた。「女の人の嗄れ声を聴くことが出来ないのよ。生まれた時から潰れた声の人はいない。もし潰さなければどんな声だったのだろうという興味はある。勿体ないと思う。パワーがないから、声を嗄らし絶叫したのか。嗄らさずとも歌っている人はいる。宇多田ヒカルは、か細い声だがビブラートがいい。ジャニスの酒焼けしたような声には、悲愴感と暗い過去、弱さの裏返しが見え隠れするのよ」。
 そんな聴き方があるのかと吃驚した。確かに声は重要だ。ジャニスは聴くのに最初から力が要る。擦れた嗄れ声のシャウトに、勢いと生き様とが螺旋状に掛け算でもして、圧し掛かり、同時に、突き刺さってくる。重たくて、しかも鋭い。マスコミとファンの重圧を撥ね除けるようでもある。オルタモントの悲劇以降、なぜミック・ジャガーの声が「美しく」変化したのか。恐怖したからだ。私にはそれまでの声の方がよかった。PANTAが大好きな私も、彼の妙にメリハリの利いた生徒会長のような声は、不良性よりも政治性に近距離であり、歌に「合わない」と感じる。しかし、ジャニスのコンプレックスとブルースとの結びつきは、歌声と一致しているではないか。怨念の一代芸となっている。胸を強打してくる。「そこが嫌なのよ」。冷たく返された。「なるほど……」。実は納得などしていない。
 蜷川幸雄は「もの作りにおいて大切なことは、壮大な理想よりも、小さな嫉妬」だと言っていた。生きる原動力が、薔薇色の未来や輝く栄光などではなく、積もり積もった怨
念やコンプレックス、復讐心だとしたなら、創作活動というものは辛い。辛いけれど、そこを引き受ける覚悟が芸能であり、スターではないのか。
 映画にはジャニス生前の、どこかで既に見たデジャブ感いっぱいの映像が流れる。どれも何度も目にした記憶がある。ジャニスの「出来すぎた」ブルース・ヒロイン物語は、そこに漂う予定調和とどこか違うのではないか。今の私にはそう思わずにはいられなかった。
 ジャニスの「スター」としての永遠不滅の寿命は、フェイドアウト組とは全く逆で、時代を経るごとにさらにフェイドインし、延長していっているようだ。『SIGHT』八号「一九七〇年~ジミヘンとジャニスが死んだ年」に、ジャニスはこう書かれている。〈自由奔放で、気分屋で、躁鬱の差が激しくて、それでいて甘えたがり屋で、だらしがなく、生き急いでいて〉という、生前の作られ出来上がったジャニスのイメージに対して、〈臆病で、ミーハーで、嫉妬深くて、黒人のソウルに生真面目に向き合っている〉という、もう一つの姿が浮かび上がってくると。しかしどちらも「イメージ」であり、しかも表裏一体のイメージである。逆に言うと、表裏を使って新たなイメージで再生産を繰り返しているに過ぎないのではないか。
 寂しそうな表情と笑っているのに悲しげな顔が絡みついてくる。どんなスターも、演じている部分が強く、演技的な面が多いのに、ジャニスは、生のままでスターを生きている部分が圧倒的だ。だから観ていてしんどい。人の何倍も荷物を背負い、人の何倍も視線を感じ、人の何倍も疲れる。だからジャニスの顔は若くして老成している。疲れるのに、ジャニスについて考える作業をストップさせることが出来ない。いつまでも考えてしまう。
 雑誌『ニューミュージック・マガジン』と喧嘩別れした田川律が、ジャニスの死後、『話の特集』でこう書いている。〈逢ったからって、どうなるものでもない。(中略)素朴にスターに逢いたいと思うにしては、老け過ぎてしまっている自分を感じる〉。
繰り返しジャニスを聴き、この映画を観る私は一体何なのか。田川が三七歳に味わったと同じ無念、断念を、五三歳にして今、味わっているのか。若いくせに老けた顔のジャニス。生まれはテキサスの保守的な町の中流家庭だ。ブスでデブと罵られる中、音楽に目覚め、背伸びしてヒッピー・コミューンに入っていく。サンフランシスコに沸き上がったフラワー・ムーブメントのカリスマ、グレイス・スリックに憧れ、いつの間にか自らがその旗手と崇められ、ブルースにのめり込んで、エタ・ジェイムズに憧れ、ドラッグ文化の渦に自ら嵌り込んで、エタは生き残り、五五歳の現役にして「ロックの殿堂」入りしたのとは対照的に、死後四五年を経過して殿堂入りを果たすジャニス。
 ジャニスの存在を私が知るのは、ロックを聴き始めた七五年で、完全に過去の伝説でしかなかった。だから唐突な死の印象よりもあらかじめ用意された死に思えた。
 人間は演じてしまう動物であり、イメージの奴隷となる。馬鹿な連中の、その通りの馬鹿な要求に、期待に、ついつい応えてしまう。ジャニスの死には、演じた笑顔と本物の笑顔が混じっている。芸能を観るのは、死を観るのは、娯楽なのか、教訓なのか、反面教師なのか、生贄なのか、覗き見なのか。
 ジャニスの伝記を書いたデビッド・ダルトンは、「たとえあのまま生きていても、酒と薬によって壊された身体を回復させるために残りの半生を送らねばならなかっただろう」と書いている。ただ、彼はキース・リチャーズから次の言葉を引き出している。「二二歳や二五歳でやりたいことを全部やっちまう奴もいるにはいるさ。だけどヘンドリックスやジャニスがそうだったとは思えないんだ」。自らを傷めつけての「自殺」行為であったことは確かだ。それはキースにしても変わらない。
 白人があんなふうにプレイできるのか。同様に白人があんなふうに歌えるのか。その一点に己の全てを賭けた女性がいた。ロックは、異形の者がカウンターとして弾き叫んだものだ。アウトローが、逸れ者が、だからコンプレックスと恨みを必要とし、ハンデをもバネにした。沖縄のロックバンド「紫」と同時期にロックスターとなった山本恭司は、こう言っている。「沖縄人は、米軍にあれだけやられても奉仕する。日本政府に対しても。黒人の白人に対するそれと似ていてブルースがある。自分が立川の米軍ハウスに住んでいても、依存しなきゃ生きていけないという感覚はなかった」。
 そもそもジャニスが出るだけで娯楽価値としては、かなり高水準化する。そこに少しでも余計な一手が上手く噛み合えば、それでもうさらに凄い映画になる。そしてその一手が実はラストに現れる。まさに時限爆弾だ。何ということもなく繋いだのか、それとも計算ずくだったのか。結果として、妙な効果を発揮している。本来ネタバレなど気にも留めずに書く私だが、ジャニスの最期のそれについては、あまり書きたくない。不意打ちのように来る。
 寂しさと才能と出会いのちぐはぐさで、好いてくれない男と酒とドラッグにおぼれ、自滅的に死んでいったと思っていた。六九年ブライアン・ジョーンズ、七〇年ジミ・ヘンドリックス、七一年ジム・モリソンと、ジャニスを加えていつもワンセットで語られるが、他の三人が、どうしようもなく出鱈目で、自暴自棄で、乱暴で投げやりだったのと比べると、どうもそうではなかったのだ、というイメージが今回観て強くなった。というより、死の二箇月前に行われた一〇年ぶりの高校の同窓会だ。テレビ番組として作られたジャニスの地元凱旋パーティーなのに、ハブられる話も、かつて私は信じていたけれど、よく考えると、「作り話」「仕掛け話」に見えてくるのだ。そしてしっかりとした繋がりの家族への手紙。
 彼女は、夢をかなえ、両親に報告し、良い家族にも恵まれ、思慮深い男が周りにいて、さらに先を見ていた。しかも自身の才能にも気付いていて、当初のバンドのダメさにも途中から気付いて、新たに人を選び生きていた。あの死んだ時点でのジャニスは、まだ次の勢いを待っている状態だった。やり尽くして枯渇してはいなかった。途上感を一杯漂わせたまま逝った。『パール』『ダブル・ファンタジー』『ドッグ・オブ・ザ・ベイ』『竜二』『ブラック・レイン』。命を削るようにして遺して死んでいく。『二十歳の原点』の角ゆり子、(漫画の)『その人は昔』とか、『別れの詩』の小川知子、『神田川』の黒沢のり子、『ふれあい』の檀ふみ、『妹』の秋吉久美子、みな無理をして、背伸びして、時代に呑み込まれて、不用意に巻き込まれて、思わぬ顛末になっていく。唐突な死を迎える。明朗快活の代名詞のようなテレビドラマ「俺は男だ!」でさえ、直ぐに死のうとする。時代と一言で言ったが、実際は、既得権益を持った勢力、男だったり、金持ち階級だったり、得意先や上司だったり得体のしれない権威によって殺されていく。可哀そうだ。しかし、ジャニスはどうやら、そうじゃなかったようだ。七〇年という時代の真只中で、悲劇的ではない形での死だった。一〇年ぶりの高校の同窓会は、到達点でもなく、ステップですらなかった。
 好きになることが出来たなら、それは不幸の始まりかもしれない。「自由とは何も失うものがないこと」とうたわれるのは、『ミー・アンド・ボビー・マギー』だ。
 それはジャニスの暗さや陰鬱さから最も遠い曲だ。
 「あなたは男だし、本当の暗さがないから、引き込まれないで済むのよ」
 だけど、連れ合いよ。分からないから聴いている。
 ジャニスを未だ知らぬ人にこそ、観てほしいと思っている。
(Vシネ批評)







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