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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻⑲
No.3270 ・ 2016年09月10日




■辻元清美選挙後、教師をめざすも挫折

 井筒高雄は、1997年10月に行なわれた第41回衆議院議員選挙で、背水の陣の土井社民党の目玉候補として立候補した辻元清美を街宣車ドライバーとして支えたが、あくまでも「アルバイト気分」で、辻元が奇跡といわれた初当選を果たすと、大学4回生になっていた井筒はいったんキャンパスへ戻り、5年遅れで大学に入った本来の目的であった教師の道をめざすことにした。ところが、当時は、教員資格をとってもなかなかなれない「冬の時代」。しかも井筒が志していた社会科の教員は応募者も多く、もっとも狭き門だった。
 窮した井筒は、母校の高校の元担任に相談したところ、週に2回各2コマていどの非常勤の社会科教師なら、母校で面倒をみてもいい、当面それでしのぎながら、「正規」の採用を待ったらどうかといわれた。一見、ありがたい提案だったが、よくよく検討すると「有難迷惑」の可能性が大きかった。
 ひとつは、どれぐらい辛抱すれば「正規」になれるかだが、元担任によると、現職の社会科教師の定年年数などから考えて、早くて3、4年、ひょっとすると5年といわれた。それでも、その間、他校で掛け持ちをするなり、教師とは別のアルバイトをするなりして「待機」する方法も考えられなくはなかったが、非常勤であれ母校に戻れば、井筒の出身の陸上部の監督がだまってはいない。「ちょうどよかった、コーチとして後輩を鍛えてくれ」と頼まれるに違いなかった。監督の推挙もあって自衛隊体育学校を目指した経緯からして、また体育会の「厳格な上下関係の作風」からして、井筒としては、それをにべもなく断われるはずもない。週2日母校に授業をしにいくだけではすまない。土日祝日関係なく1年間で年末年始とお盆休みを合わせて1週間しか休みのない猛練習に、監督と生徒ともども付き合わされるに決まっていた。
 結局、井筒は考えた末に、「臨時雇いの教師」よりももっと不安定かもしれないが、もっと自由がきいて面白い人生を送りたいと、母校の元担任の提案は断わることにした。そこには、神戸の震災復興ボランティアや辻元選挙で体感した「この世にはこんなにも自由な世界があるのだ」という発見も影響していたと思われるが、この最終決断には、実は井筒の“個人的事情”も大いに関係していた。
 辻元選挙の手伝いを終え、教師に的をしぼった「就活」に入った井筒だが、大学の単位は3回生でほとんど取り終えていたこともあり、大学4回生の正月には下宿を引き払うと、生まれ故郷の東京へ生活拠点を移した。関西の大学を選んだのは、前述したように、時期的に関西の2大学しか社会人入学の枠が残っていなかったからであり、もともと当面は実家から通える中学か高校で教職につきたいと考えていたからである。
 しかし、井筒が大学4回生で、東京へ生活拠点を移したのには、もうひとつ重大な動機があった。
 神戸の震災支援ボランティアで知り合い、辻元選挙でも大阪に手伝いに来ていたピースボート東京本部専従の井筒陽子に、かねてから強く惹かれていたからである。
 陽子は辻元選挙を終えると、東京の本部へ引き上げ、本来の主要業務である「世界一周クルーズ」のブッキングや管理の仕事に戻っていたこともあり、井筒は東京で陽子と一緒の生活を始めたのである。
 井筒は、元母校の担任からの申し出を断わるいっぽうで、辻元清美からの要請もあって、とりあえずは辻元の国会事務所の雑務を手伝うことになった。折しも辻元が「憲法の1条から8条はいらない。天皇制は廃止したほうがいい」と発言して大炎上。辻元の身辺が危ないとの配慮から、地元大阪の選挙区と国会を往復するのに“ボディガード”をつとめるなどして、井筒は「臨時私設秘書」として、余人には代えがたい役割を果たした。しかし井筒本人としては、いまだ「バイト気分」で、政治にはほとんど関心はわかず、後に議員に挑戦することになろうとは夢にも思っていなかった。
 その一方で、陽子が働くピースボート本部にも毎日のように顔を出し、専従スタッフ同然のように溶け込んでいった。辻元事務所とちがって、ピースボートのほうは、それまで井筒が身をおいていた世界とはほぼ対極にあるカルチャーが体験できて、日々が新鮮だった。
 それでも教師の道は諦めきれずに、「待機」のポーズをとっていたところ、函館の高校の社会科の正規募集があり、「単身赴任」も辞さないと応募したが、最終的にはねられてしまった。依然就職が決まらず、陽子の低額ではあるが安定した収入に頼る“不安定なアルバイト生活”状態がつづくなか、陽子が妊娠。急遽、両方の両親とも相談をしたところ、親たちの「結婚を容認する条件」は、当然のことながら、陽子の収入が一時的に絶たれる以上、井筒が安定した正規の職を得ることであった。
 こうして井筒高雄は、正式に大学を卒業した1997年12月、某大手飲料メーカーの系列会社で、水を販売するルート営業の仕事についた。
 しかし、井筒の収入だけでは、親子3人を養うのは厳しかった。陽子は出産までは、クルーズに同乗する仕事から外してもらって事務の仕事をつづけ、出産後は、当時のNGOとしては(いや民間企業でも)珍しいベビーシッター制度に支えられて仕事を続行、井筒一家をしっかりと支えるのである。
(本文敬称略)
(つづく)







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