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評者◆秋竜山
戦前が来る、の巻
No.3261 ・ 2016年07月02日




■「いったい自分は何者だ!?」。わかるのは、たいした人間ではないということだ。そんなことよりも、自分にとって肝心なものとして、「生年月日」がある。これは、どこへ行っても一生つきまとう。無人島でひとりぐらしをするんだったら、そんなもの必要もなかろう。一番必要とするのは、まず役所だろう。あそこへ行って、自分の生年月日を「わかりません」と、答えようものなら人間あつかいされないだろう。それよりも、「大丈夫ですか?」なんて、いわれたらおしまいである。私は自分の生年月日については、「この世に生を受けて……」とか、なんとかいうよりも、自分の生まれる以前の世の中というものに興味ある。自分がいない世の中というものが存在していたかということだ。
 一枚の写真があった。自分が生まれる前に写されたものだ。自分の家の軒下にせんたく物が干されてある。えんがわの障子が開いていて家の中が丸見えで人影はない。その写真を見た時、なぜか泣きたい思いがした。この写真の時代に自分は存在していなかったのだ。が、こーいう時が確実にあったことをこの一枚の写真が教えてくれる。息子が小さい時、話していて、「お父さんの死んでいた時は?」と、いった。「お父さんの生まれる前は?」と、言おうとしたのだ。子供にとっては、生まれる前は生きていない時であって、死んでいる時ということになるのだろう。私は自分が子供の時、そんな発想したことがなかったから、ビックリしてしまった。私が自分が生まれる前に興味があるといったのは、私には、生まれる以前と以後があるということだ。なんとも明解な区別である。
 同じことのように思えるのは、「戦前、戦後」というわけかたである。日本人の大好きなわけかただ。この二つのわけかたは、日本という国をわかりやすくしてくれる。いったい、いつまで続くのだろうか。便利である限りなくならないだろう。テレビ・ドラマなどで、視聴率をかせぐには、困った時の戦前、戦後であり、日本人が一番いきいきとしている時代であったようにさえ思えてくる。とにかく葉っぱの裏表のようであるから、わかりよい。もし、「戦前、戦後」がなかったら、まったく変化のない日本が続いていたのだろうか。「私は戦前生まれです」と、「私は戦後生まれです」と、いうわけかたで、どーいう日本人であるか、大体わかってくる。
 武田知弘『教科書には載っていない! 戦前の日本』(彩図社、本体六四八円)。このような本をつきつけられると、やっぱり戦前というあの日本はつくり話ではなく実際にあったんだなァ……と、信じがたいが、自分はそんな時代には生きていなかったが、変ななつかしさのようなものをおぼえてしまう。
 〈一口では説明できないほどの多様さと雑然さ。それが戦前の日本だったのだ。戦前といっても、明治維新から開戦まで80年近くもある。〉(本書より)
 戦前と戦後という言葉が日本から消えた時、どのような日本になるのか、その時まで生きのびる日本人がどれほどいるのか。時はアッという間に流れてしまう。そんな日本もアッという間にやってくるだろう。アア……。







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