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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻⑱
No.3259 ・ 2016年06月18日




■辻元清美の選挙に関わる

 井筒高雄は、夏休みをつかったピースボートの「世界一周クルーズ」から大学に戻ると、本来の目的である教師の資格をとるための勉学に集中、3回生でほぼ必要な単位は取得し終え、残りは「就活」にあてるつもりだった。新しい年が巡り神戸の震災から1年が過ぎ4回生になったが、「就活」はなかなかうまくいかなかった。そんななか、思いもかけないアルバイト話が舞い込んだ。
 その年の10月20日に行なわれることになった第41回衆議院議員選挙に、ピースボートの立ち上げメンバーの一人である辻元清美が「土井社民党」から立候補することになり、手伝いを頼まれたのである。街宣車の運転であった。
 当時ピースボートの内輪でもなく政局にも関心がなかった井筒は知らなかったが、それにはこんな背景と裏事情があった。
 1993年、戦後初の細川非自民政権の成立をうけて政界再編がはじまり、その大波のなかで社会党は分裂、大半の議員と党員は民主党結成へ走り、少数派は「社民党」と看板を書き替え、党首を土井たか子にいただき失地回復を図った。その目玉にされたのが「土井チルドレン」と呼ばれた若者の擁立で、このとき初めて採用された比例代表制の近畿ブロックの候補の一人として、当時36歳の辻元清美に白羽の矢がたったのである。
 土井社民党は、当然のことながらピースボートの全面支援を期待。しかしピースボートの内部ではその是非をめぐって大議論になった。前回紹介したように、クルーズでは現地の受け入れ先が企画の命であるが、現地の要人に会うために、しばしば辻元の働きかけで衆議院議長・土井たか子の名をつかわせてもらい、土井には恩義があった。いくら世話になっているからといって、土井たか子と辻元の個人的関係はあるが、「政治と宗教からは中立であるべき」NGOの本旨にもとる。激しい議論の末に、「今回かぎり」、それも組織としてではなく「個人」として関わることになった。
 いっぽう、そんな内輪の話は与り知らぬ井筒は、街宣車を運転してくれたら、公選法で定める日当をもらえるというので、喜んで引き受けることにした。当時のアルバイトの時給はせいぜい650円。貧乏学生には夢のような話が転がり込んだのは、自衛隊時代に取得した大型免許のおかげだった。こうして、井筒は社民党の舞台付き街宣車の運転手として、近畿の比例代表候補の辻元清美と中川智子(現・宝塚市長)に応援弁士を乗せて近畿2府4県を走りまわった。
 井筒に社民党へのシンパシーがあったわけではない。政治にもまったく関心がなかった。神戸長田での震災支援のときの「自衛隊上がりとNGO」もそうだが、選挙における「自衛隊上がりと社民党」という究極の「ミスマッチ」も思わぬ効果を発揮した。
 宝塚駅頭で辻元と中川の応援に党首の「おたかさん」が入ったときだ。以前から土井たか子を「北朝鮮の回し者」とつけねらう右翼の街宣車が妨害にきた。井筒が「俺は31普通科連隊の元レンジャーだ」と気色ばむと、彼らは「社民党は自衛隊を認めているので、応援します」と言ってすごすごと「撤退」していった。
 まだ井筒と結婚していなかった陽子も、辻元選挙を個人として手伝うなかで、二人の仲も近くなった。陽子によると、辻元選挙に集った多くはピースボートのみならず、全国の学生から社会人、アルバイト、就活中など多種多様。選挙、それも国政選挙は「初体験」なので、当初は大丈夫かと不安に思ったが、案ずるより産むがやすしだった。やってみると、震災のときもそうだったが、船内運営の経験がそのまま役に立った。選挙は人と人とをつなぐ一種の「熱伝導」である。多種多様な人たちと一緒にやっていくことは、いわばピースボートの日常運営の基本である。いってみれば、「クルーズへの参加の呼びかけ」を「辻元・中川への投票の呼びかけ」に変えるだけのことで、さしたる違和感はなかった。
 通常の選挙では「プロ」を自称する組合幹部や党官僚のおっさんが仕切って、一般の支援者とぎくしゃくするものだ。もちろんゼロではなかったが、不幸中の幸いというか、社会党の大半が民主党へ行ってしまったため、「選挙初体験」の若いメンバーは、ピースボートらしくのびのびと「自己流」でやることができ、これが「楽しいお祭り選挙」につながった。
 たとえば、「今日の一日」というニュースをつくって、事務所のスタッフや支援者に配布して活動を盛り上げるのに役立ったが、それはクルーズの「船内新聞」、震災の「デイリーニーズ」の応用だった。
 また、当時、東京・高田馬場の本部では5時半になると音楽が鳴り、スタッフは全員でビラを持って新宿などの人通りの多い繁華街へ出かけ、チラシを撒くのが「日課」だったので、一般の人が尻込みするビラの配布も苦にならない。さらに支援者にはもっと辛い、個人宅や商店へのポスター貼りのお願いも、長年クルーズ募集活動で手慣れたものだった。そういう意味でいうと、選挙戦で使えるノウハウはすでにほとんどが体験済みだったのである。
 さらに新しい画期的な手法も編み出した。辻元が街頭で、あるテーマについて書かれたボードをもって立ち、道行く人に〇か×の印をつけてもらう訴求行動である(この時の争点は「消費税増税」と「行財政改革」だった)。いまや選挙では見慣れた光景になったが、それは、辻元と井筒たちが大阪の駅頭でやったのがおそらく「はしり」だった。
 そうしたピースボートを中心にした新しい無手勝流選挙が奏功したのだろう、土井社民党は、この衆院選挙全体としては解散前の30議席から15議席へと半減させて惨敗したが、近畿の小選挙区では兵庫7区の土井たか子、比例では、辻元清美と中川智子の2名が当選するという大善戦をはたした。
 井筒にとって、13日間にわたって活動を共にしたピースボートつながりの辻元清美の当選も嬉しかったが、それよりも感動したのは、最後の最後で中川智子が滑りこんだことだった。嬉しさのあまり中川に抱き着いて、不甲斐なくも泣いてしまった。
 それでも、その時の井筒は、バイト代までもらって面白い体験ができたという程度の感動であって、後に自分が選挙にでて辻元選挙の体験を生かせることになるとは、つゆほども思っていなかった。
(本文敬称略)
(つづく)







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