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評者◆踊る猫
「恋愛」とはここまで対象が広いものなのか
恋愛詩集
小池昌代編著
No.3256 ・ 2016年05月28日




■本書は小池昌代氏が編んだ「恋愛」に関する「詩集」である。私は二度読んだ(裏返せば二度しか読んでないので、もっともっと読まなければならないし読める本だろう)。一度目に読んだ時はなんの感興も湧かず、つまらない本と出くわしてしまったなと甚だしく失礼なことを考えて投げ出してしまっていた。だが鞄の中に入れて持ち歩いているうちにヒマを持て余す機会があって、ケータイをカチカチ弄るのも飽きてしまったので二度目の読書を病院のロビーで行ったのであった。一度目に読んだ時と随分印象が違って読めたので我ながら驚いてしまった記憶がある。一度目の読書は文字通り「飛ばし読み」だったのだ。口の中で転がすように本書に収められた詩を、じっくり丹念に読んで行くと――それだけの価値は確実にある――全く違った色合いを帯びたものとして本書は映った。
 そんな経験をしてしまったこともあって、改めて自分と「詩」との関係を問い直させられた始末だった。本書はスラスラ読める本だが、普通に本を読むようにスピーディに読んではなんの意味もないだろう。「口の中で転がすように」、これがポイントだ。美味しいお酒を呑む時に口の中に含んで味わいをじっくり確かめてそれから呑み干すと美味しさが増して贅沢に感じられるのと同じように、本書に収められた詩も口の中や頭の中で一旦転がしてみて、その選ばれた日本語の語感や響き、立ち昇る情景といったものを堪能してそれから読み終えなければ無駄な読書で終わってしまう。この拙文を読む人間が私のような迂闊な読者ばかりだとは思わないのだが、改めて念を押しておく必要はありそうだと思ったので記す次第である。
 「恋愛」に関する「詩集」である。読み始めるといきなり沼野充義氏による翻訳の為されたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が登場するので驚かされてしまった。編者の小池昌代氏のチョイスは幅広い、代表的な詩人では谷川俊太郎氏や伊藤比呂美氏、高村光太郎や宮澤賢治からリルケや中原中也や林芙美子といった詩人まで古典や現代詩を問わず、硬軟関係なしに「恋愛詩」を選んでいる。それが不思議と「とっ散らかった」という印象を感じさせず、ヴァラエティに富んでいてページをめくる毎に「やられた!」と思ったりクスクス笑ってしまいそうになったり、涙を誘われたりしてしまうのは流石だなと思わせられる。小池氏の仕事はこれもまた不勉強にして知らなかったので、これは『通勤電車でよむ詩集』を読まなければならないなと思った次第である。
 「詩」とはしかしなんだろうか。現代詩、と聞くと難解そうなイメージを感じたりしないだろうか。あるいはそうでなくとも、私たちは「詩」を書くという習慣をそれほど持っていないはずだ。「詩」とは変なもので小説よりもハードルが高いと思っていないだろうか。現に書店に行ってみれば分かる通りベストセラーとして読まれるのは小説やエッセイといった散文が殆どで、例えば有名人のTwitterでの名言(あれも広義の「詩」だろう)などは例外的なものとして異色に映る。「詩」というものを日常から浮遊した、高踏な遊戯の産物として捉えていないだろうか。私自身はそのように構えて読んでしまうせいかなかなか「詩集」を読めずレヴューを書けないでいる。だから一度目の読書はそんな風に「構えて読んで」いたのかもしれない。
 逆に言えば、本書は一度目の読書はつまらないかもしれない。だがふとヒマが出来た時に本書をもう一度読み返すという体験をしてみて欲しい、とも思うのである。それまで単なる文字の羅列としてしか捉えられなかったものを「もう一度」丁寧に読んでみる。そうすればきっとまた違ったものが見えると思うのだ……やれやれ、「詩」というものを他でもない私自身が「構えて読んで」いたせいで肝腎の本書の中身ではなく一般論に貴重なスペースを割いてしまった。急いで本書の中身を整理しよう。本書で描かれる「恋愛」の定義は幅広い。小池氏は丁寧に平たく書かれた「詩」を中心に、淡い恋の思い出からこちらをドギマギさせてしまうエロティックで濃密な「詩」まで柔軟に取り入れてしまう。これは「恋愛」に対する読者の側の定義が問い直させられる書物だろう。
 平たく言えば、「こういうものも『恋愛』なのか?」と考えながら読ませられる、ということだ。私自身一度目の読書は「これは『恋愛』ではないんじゃないかな……」と疑念を感じながら読んでしまったのだけれど、二度目に読めば「そうかこういうものも『恋愛』なのか」と思わせられて腑に落ちた。必ずしも巷で流行っている異性愛を歌った「ラヴ・ソング」ばかりを「恋愛詩」として小池氏は取り入れない。同性愛も年齢の離れ方も、対象となるモノが人間でなくともそこに淡い/濃い「恋愛」の要素があると小池氏が感じたものは『恋愛詩集』というコンパクトにして濃密な一冊の書物の中に入ってしまうのだ。こうした本を手軽に持ち歩けるというのはなかなか贅沢な経験ではないだろうか。本書がこの駄文を切っ掛けに皆さんの鞄の中に入るようであれば、存外の喜びである。
 敢えて難を言えば、言語的な面で過激な実験を行った抽象的な「詩」を収めていないところに欠点を見出しても良い。つまり最果タヒ氏のような詩人は本書に作品が入ることはないだろう。だがそれも瑕瑾に過ぎない。文字通りの「ないものねだり」なので気にしないで――気になる人はこの駄文を切っ掛けに「現代詩」の野蛮な世界に入ってくれればそれはそれで良い――読んでいただければと思う。「世界」が広大で自分がちっぽけなのと同じように、時間も空間も超えて響き渡る詩人たちの「恋愛詩」の中に広大な「恋愛」の情景を貴方は見出し、そしてその中で心地良く抱かれることになるのではないか。ちょうど恋する人に抱かれるように……なんだか陳腐な表現で〆てしまって申し訳ないが、本書を読んでいて感じられるのはそうした「抱かれるよう」な安心感なのだった。これもまた強調しておきたいと思う。


選評:いまの世の中、どこを見渡しても「詩的」と言うにはほど遠い状態だ。ため息ばかりついてしまう。「革命はゴミ箱に捨てられた。残っているのは状況に詩的転移だけだ」なんて言った人もいた。しかし、「詩」の力それ自体が衰えたわけではないだろう。いつもポケットに詩を入れて歩けたら、どれほど幸せなことだろうか。それにぴったりの本が、ぴったりの編著者によって出版された。いつも心に花束を、いつもポケットの詩集を。現状に絶望することなかれ、と教えてくれるのも詩の力なのかもしれない。
次選レビュアー:青玉楼主人〈『異国の出来事』(国書刊行会)〉、ぽんきち〈『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(岩波書店)〉







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