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評者◆大塚真祐子(三省堂書店神保町本店)
誰にとっても「大きくなる日」は訪れる
大きくなる日
佐川光晴
No.3256 ・ 2016年05月28日




■先日「爽やかな本」というテーマで小説を選んでほしいという依頼をいただき、はたと考えこんだ。小説にかぎらず、自分が「爽やかさ」を読書に全く求めていないと気がついてしまった。客観的に考えればスポーツや青春小説を挙げればいいことはわかるのだが、どうもぴんとこない。
 そこで読んでみたのが『大きくなる日』だった。四人家族である横山家の歩みを中心に、それぞれの人生の転機の日を描くこの連作集が爽やかであることは間違いなく、依頼の原稿にも挙げたが、読了してからずっとこの作品の何かがひっかかっていた。「何か」がわからないまま「爽やかな本」として挙げたことも気になった。
 本書の軸となるのは保育園で「ぼくの名前は都営地下鉄三田線くんなの」と自己紹介する横山家の弟「太二」であり、彼の保育園卒業から中学卒業までが描かれる。その間に太二の父は海外出張の多い会社員から町の豆腐屋へ転職し、看護師の母は正規職員となり、姉は中学受験を経て大学に進学し、一人暮らしをする。
 印象に残ったのはこの姉「弓子」の物語だ。お嬢様系の中高一貫校に通う弓子だが、三者面談で突如このままの成績では高等部に進めない可能性もあることを告げられ、激高する父に「今まで育ててくれて、ありがとうございました」と言い残し家を飛び出す。じつは弓子は定期試験でわざと間違った解答を書きつづけていたのだ。
 確固たる動機もないまま希望した中学受験、そこで生じた両親との齟齬、裕福なクラスメイトとの環境の違い、弟に対するコンプレックス。それらすべてが漠然とした不安となって弓子をおしつぶした。物語は家出中に出会った太二の元担任「水野先生」の登場によって収束するが、ここまでは豪胆な好人物として描かれていた父が一転、偏見を指摘されやりこめられる場面は痛快なほど鮮やかである。
 連作では他にフィリピン人の母のはじめての運動会や、地元少年サッカーチームに起こる危機、保育園と家庭とのデリケートな関わりなど、様々な親子の物語が様々なアプローチで描かれる。親にも子にもそれぞれの屈託があり、屈託が浮き彫りになるときその人物の「人間らしさ」がもっとも濃く、強く立ちあがるのは現実でも同じだ。
 そのなかで弓子の屈託に惹かれたのは、弓子だけが「明るくて、見ているひとたちを味方につけるふしぎな魅力」を持つ弟太二に嫉妬しているからだと気がついた。連作をとおして太二は老若男女から人気があり、両親からも信頼され、勉強はふつうよりも少しできるくらいだがスポーツができ、ガッツがありオーラがあり公正な判断ができ、憧れの対象となる少年として描かれる。学生時代、どのクラスにも一人はこういう人材がいた気がする、などと思うわたしはひねくれているだろうか。
 太二にも屈託があるだろう。傍からは横山家が「なにかと恵まれている」と思われるように、家族でさえ別の人間であって自分以外の人間が本当は何を考えているかなんてわからない。けれどもわたしは本書を読みながら、まるで弓子が感じたように太二を羨んだ。ずっとひっかかっていたのはこれだったのだ。
 誰もが太二にはなれない。けれども弓子が自分の力で道をひらいたように、誰にとっても「大きくなる日」は訪れるのだと、ゆるやかに連なるすべての短編がわたしに教えた。そしておもわず二歳になる自分の娘の人生にも思いをはせた。彼女もいつか劣等感をもち、誰かを妬む気持ちを抑えられないこともあるだろう。それでも母であるわたしにとってはずっとあなたが主人公だと、彼女にちゃんと伝えるにはどうすればいいか。未熟な母の「大きくなる日」もこれから待っているだろうか。そんなことを素直に思わせる貴い一冊であった。







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