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評者◆添田馨
暗黒の“安倍時代”を生きる②――超自我あるいは正邪の淵源
No.3256 ・ 2016年05月28日




■「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」――安倍晋三がわが国の憲法前文についてこう言い放ったことは記憶に新しい。その一方で柄谷行人は、近年、改憲派がいくら頑張っても憲法第九条の改正は不可能なのだという旨の発言をしている。占領軍による強制の事実があるにせよ、日本国民のあいだに「戦争を拒否する無意識の『超自我』が存在する」ため、国民投票では必ず負けるからだという。
 「日本人が作ったんじゃない」事実と「占領軍が強制した」事実、この同じ理由から発しているにもかかわらず、両者の結論はなぜここまで決定的に分かれてしまうのか。この疑問を、柄谷にあって安倍にないものは何かというように問い直してみれば、その答えはあまりにも明白である。それは「超自我」なのだとの結論に帰着するだろう。
 例えば、憲法解釈を変えることで、国民のあいだに広汎な反対意見があるにもかかわらず、違憲立法を強行採決する。これは、議事運営上、明白な邪道である。これほど邪な専横が、少しの罪責感もなく実行される。それは「超自我」つまり倫理規範との葛藤が、議員間にまったく介在していないからだ。その原因は、ぜんぶ安倍晋三にある。
 安倍晋三の自我形成過程になど、私はなんの興味もない。だが、その人間が政権与党の総裁として内閣総理大臣の席に座り、クーデター的手法でこの国のかたちを瓦解させることに政治生命を賭けているとなれば、話は別である。
 「超自我」が欠落すると、人間を動かすのは無意識の欲動だけになる。自己の利害目的の達成だけがすべてとなり、目的自体の妥当性が問われることはなくなる。
 人はどれだけ暗愚であっても怯懦であっても許されるだろう。しかし、政治権力者がこのように邪であることを許しては、絶対にだめだ。







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