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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻⑮
No.3254 ・ 2016年05月07日




■復興支援を下支えした生活情報紙「デイリーニーズ」

 阪神・淡路大震災の支援活動全体のなかでも、後にもっとも歴史的に意義があったと高く評価されることになるのが、ピースボートによる日刊「デイリーニーズ」の発刊と配布活動である。井筒高雄にとっては、肉体をつかった復旧作業は学習済みの「得意科目」であったが、これは「選択科目」にも入っていない未知の世界であった。
 井筒が「デイリーニーズ」と深く関わり、その意味を知ることになるのは、長田に支援に入って2週間ほどした2月下旬、その配達用にと800台もの中古自転車が東京からフェリーで届いたのがきっかけだった。
 長田には12万人の区民がいたが、当初は徒歩による配布のため目標の「全戸配布」は望むべくもなかった。しかし道路状況も改善され自転車配達が可能になったため、東京の専従スタッフらの努力で中古自転車が送られてきたのである。
 井筒は、その受け入れと運用を、現場の責任者である山本隆たちを手伝うなかで、「デイリーニーズ」がどのようにして生まれ、どんな役にたっているのかを知ることになる。
 まず「言い出しっぺ」だが、それまで井筒の周辺では見たこともない「異人」であることに驚かされた。あらばき協同印刷というちっぽけな簡易印刷会社の社長の関根みい子。あの太田龍の同伴者で、「あらばき」という社名も日本先住民の神の名にちなむという、「左の世界」ではちょっとは知られた「傑女」だった。だが、当時「左」とは無縁の井筒は、「すげえパワフルなおばちゃん」と驚くだけであった。
 その「あらばきのおばちゃん」は、震災から4日目、友人たちとテレビを見ていて、死者の名前ばかり流し続けるのに、「確かに安否も知りたい、でも、もっと知らせなければいけないことがあるんじゃないの」と疑念をもった。と、友人から「だったら印刷機をもっていけば」といわれ、「そうだ」と思い立ち、友人でもあり顧客でもあるピースボートに声をかけたところ、ピースボートは即応、関根と印刷機をトラックに積んで神戸へ。3日後の発災一週間目には、創刊準備号が発行・配布されたのである。
 全文手書きの創刊号には、「デイリーニーズって何!?」の見出しで、その目的がこう記されていた。
 「一月十七日の大地震以降、様々なメディアが被災状況・援助活動等の情報を伝えています。しかし、地域に密着した本当に必要な情報――どこに何がどれくらいあるのか、何時にどこで何が配られるのか、買えるのか、どこでおフロに入れるのか――等々はまだまだ不足していると思います。今まで口コミが頼りであったような、きめ細かい情報を紙面化し、より多くの人に伝わるような情報のネットワークを私たちは作りたいと思っています。同時にボランティアの情報交換の場になれたらと考えています」
 そして、「こんな情報を集めます!」として、「人手が欲しい/これあげます/あれが欲しい/私たちはここに居る/~さんはどこにいる?」が挙げられている。
 こうして、立ちあがった日刊新聞の紙面には、以後、安否情報、合同葬、食料配布、洗濯、風呂、焚き出しなどの「定番記事」のほかに、ハスキー犬の里親探し、アトピーの子供たちの入浴、ジャズ演奏、さらには「ブラジャー販売」といった毛色のかわった情報も掲載。謳い文句のとおり地域密着の生活情報を被災者に送り届けていく。
 編集委員は、ピースボートの現場責任者の山本隆と梅田隆司を中心に8人(なお、梅田は青学大中退、ピースボートの専従スタッフとなって長田へやってきた。井筒の1歳年上でプロレス好きの趣味で意気投合し、東京ドーム・新春プロレスを観戦するなど、これまたウマがあった。残念なことに震災支援後の1996年8月にバイク事故死した)。午前と午後の配達のなかで蒐集された情報、あるいは各種ボランティア団体から持ち寄られた各地区の避難状況の実態が、夕方の編集会議のなかで集約されて夜中に原稿化、翌朝までにトラックの荷台で印刷されて、銀輪部隊によって長田全域へと届けられるのである。
 井筒も、原稿書きは「不得意科目」の最たるものだったが、スコップやロープを握る手にペンを持ち替えて文章を寄せたこともあった。
 第1号は2千部でスタートしたが、多くの協力スタッフの下支えもあって最後には1万部を配布するまでに成長。行政から配布される「避難所情報」はほとんど役に立たず、被災者にとって、もっぱら頼りにされたのは「デイリーニーズ」だった。
 井筒の熱心な支援者でもあった地元の工場経営者の田中保三は、震災発災4年後に刊行された「デイリーニーズ縮刷版」に寄せて、当時の被災者の気持ちをこう代弁している。
 「あの頃は新聞すら満足に配達されなくて、みんな活字に飢え、報道されない非日常生活の中のニーズを的確に汲みとり、貴重な記事を載せるこのミニコミ紙をどれほど待ちわびる人々の多かったことか。その存在の意味深さに感銘を受け新聞の原点をみた様な気がした」
 いっぽう創刊スタッフの一人、小野幸一郎は、同じく「デイリーニーズ縮刷版」に寄せて、発信サイドの想いをこう語っている。
 「8人で12万人の居住者がいる長田を全部カバーするという、無謀極まりない方針でありながら、何故その実現が可能であったかといえば、それは「“必要”を探りそれに見合った」行動を各人がしたからでしょう。その後に来たボランティアの子には悪いけど、「指示待ち人間」なんか一人もいませんでした」
 井筒はガテンチームのリーダーとして、身体をフルに使ったスタッフ・メンバーたちの仕事ぶりには自負があったが、山本と梅田らの生活情報受発信活動はガテン系とは違った「必死感」があり、これには感動させられた。
 なお「デイリーニーズ」は、3月9日、1月25日の発刊準備号を加えると通算で40号をもって、1月半の活動を終える。すでにコンビニや商店の再開がはじまり、水道の通管率も8割を超えたことで「生活かわら版」の役割は終わったとの判断からであった。
 地元被災者のなかから「これからの長田を考える会」が立ち上がり、「デイリーニーズ」が培ってきたノウハウとネットワークはそこへ引き継がれ、“長田区民による長田区民のための”週刊タウン紙として再スタートを切ることになった。
(文中敬称略)
(つづく)







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