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評者◆西村仁志(ジュンク堂書店新潟店)
いつでもどこでも、研究は始められる
これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得
荒木優太
No.3250 ・ 2016年04月09日
■エリック・ホッファーという哲学者をご存知だろうか。7歳で母を亡くし、同じ年に失明。15歳のときに奇跡的に視力が回復するも、18歳で今度は父を亡くし天涯孤独に。その後も自殺未遂をはかるなど、波乱の人生を送った。このエピソードだけでも充分に驚嘆に値するが、もっと驚くのは、彼は正規の学校教育を受けずに独学であらゆる学問をマスターしていったのだ。後年は沖仲仕として働きながら勉学に励んだ。正に在野の哲学者だ。
本書のタイトルは『これからのエリック・ホッファーのために』だが、決してエリック・ホッファーの解説書ではない。寧ろ副題である「在野研究者の生と心得」というのがメインだ。 よく知られているように、現在の文系学部の大学生は危機的な状況にある。自身も在野研究者である著者はこれに対して「若手が安心して研究できる場所などもうどこにも確保されていない」と前置きしつつも決然と語る。「しかし、それで終わりだろうか?明らかに、そうではない。たとえ大学が終わったとしても、私たちは生きている。…私たちもいまここから学問的研究への小さな一歩を踏み出すことができるはずだ。読み、書き、調べ、考え、まとめ、発表する一連のプロセスは、誰が許可したでもなく自生的に立ち上がる」。 では、どのようにすればよいのか。本書では16人の在野研究者の「生」を辿り、そこから著者なりに40の心得を伝授する。紹介される研究者たちは様々で、一般にも比較的よく知られているような谷川健一や小室直樹といった名前もあれば、失礼だがかなりマイナーなものもある。 在野、ということは当然多くのリスクがつきまとう。例えば金銭面、家族の理解など、実生活とのバランスが取れなければならない。中には自宅でサボタージュ、妻に食わして貰って研究に没頭といったツワモノもいたようだが、実践するというのは相当に大変なのだろう。「しかし、」と著者は言う。「それならば研究などやらず済ませることができるのだろうか。無論、済ませたとて悪いことはない。けれども、もし自分のなかにそれで済まない志を感じるのならば、たとえ不細工に終わるのだとしても、やってみることに価値がないとは思わない」。著者にとって在野での研究は〈生存闘争〉、〈存在へのあがき〉の仕方の一つで、決してアカデミズムへのカウンターではない。いつでもどこでも、研究は始められる、勉強できる。本書を読んでいると自分の中にある意欲をこれでもかと刺激される。紹介されている吉野裕子の言葉が印象的だ。「萎縮と思い上がりとでは、どちらが初学者にとって有害かといえば萎縮の方だろう」。 今、私の目の前には大枚叩いて買った『決定版 坂口安吾全集』(筑摩書房)がある。買ったことに満足して碌々読み進めてもいなかったが、遂に開くときが来たのかもしれない。 |
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