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評者◆大塚真祐子(三省堂書店神保町本店)
危険な本
かなわない
植本一子
No.3248 ・ 2016年03月26日
■まず冒頭でいちど読むのをやめた。これは危険な本だと思った。この危険な感じには覚えがあった。神蔵美子『たまもの』や古屋誠一の「メモワール」シリーズをはじめて目にしたときの、気づいたらがんじがらめにされてもう逃れられないあの恐れに似ていた。そして神蔵も古屋も『かなわない』の植本一子も、写真家という共通点があった。
『かなわない』は写真家植本一子の、二〇一一年から二〇一五年までに記された日記と散文を収録した一冊だ。自費出版の冊子が反響をえて加筆、書籍化された。前作『働けECD~わたしの育児混沌記』に続く五年の記録である。 原発に不安を感じながらの子育て、夫でラッパーのECD(石田さん)と参加したデモでの葛藤とともに、二人の娘に対する愛しさと厭わしさ、自身の母に対する複雑な感情や夫への不満などが日常の景色として綴られる二〇一一年から、年を経るにつれ日記の様相がどんどん変化する。 育児はますます苦しくなり、思いどおりにならない娘たちの言動に物へあたる自分を抑えられない。保育所の先生の前で「育児が苦痛で仕方ありません」と泣き出す一方で、娘の誕生日には「ずっとこのままでいてほしい」と願い、出張から戻って不機嫌な娘を「わかった! お母さんいなくて寂しかったんだね?」と抱きしめる夜もある。 二〇一三年に入ると、予想に反し育児の記述は激減、順調に仕事が入り、植本さんはどんどん外へと自分を開放する。ライブ通いの熱が再燃し、連日深夜帰宅の妻を夫は行き過ぎだと咎める。5月で日記は途絶える。 二〇一四年、「二日ぶりにまともに家に帰宅」の書き出しで日記はふいに再開し、植本さんには好きな人がいることが明かされる。スーパーへの道すがら三回目の離婚申込みをし、「石田さん」は離婚届を書くことを承諾する。が、結局それは提出されない。家族の日常は(おそらくいまも)つづいている。その他の圧倒的な出来事、闇雲に疾走する日々をわたしがここに書ききることはとてもできない。 「こんなことまで書き始めて、私は誰に何を知ってほしいと思っているのだろうか」。読み終えてだれもがそう思う。「書くこと、撮ることで生かされている自分がいる」と植本さんは書く。 「自分の見た風景を写真を通して人に見せたい時がある。写真は撮っておかないと残らない。今この波立つ気持ちも書き残しておかないときっと忘れてしまう。そしてそれを人に伝えたいと思う。私は私のことを人に知ってほしい。ただそれだけなのかもしれない」(2014年5月19日) 批判するのは容易だ。「結婚すれば、好きな人は出来ないし、出来てはいけない」のは道徳であり世間を後ろ盾にできる常識だ。実際、ブログという形の日記にさらけ出したことで、植本さんは「罵詈雑言」を浴びせられる。その内容は記されていないがいくらでも想像はつく。 それでもこの一連の文章から目が離せないのは、その美しさだ。「書かずにはいられない」出来事はだれの胸にもある。が、「書かずにはいられない」ことをそれと同等な情熱でかつ怜悧な眼差しをもって言葉にできる人はごく限られている。そういう人々が「表現者」と呼ばれるのだ。 植本さんの文章はファインダーのようだ。ファインダーは「そこにある」ものをひとしく映す。可憐な花と踏みにじられた草が隣りあっていれば、それらは同じ枠の中、同じ重みで切りとられる。植本さんの娘に対する愛も嫌悪も、「石田さん」への敬意も甘えも、ただ淡々と言葉におきかえられる。生々しくさしだされた、赤い傷口のようなそれらの美しさにひきずりこまれる自分がいる。 『かなわない』を読むときのわたしは母でも妻でもなく、欲望と狡さをかかえたひとりの人間だった。それは子どもを産んでからしばらく忘れていた個人の時間だった。句点でかろうじて閉じられる、植本さんの一日の記録を読み終えるたび、わたしはいつも夜にいるような気分になった。世界に無数にあふれているはずの「書かずにはいられない」物語は、書かれなければどこへいくのだろう。すべては「叶わない」し、「敵わない」。こんなにも「わたし」をゆるされ、「わたし」を絶望させた読書はほかにない。 |
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