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評者◆秋竜山
英語でダメになる日本?、の巻
No.3248 ・ 2016年03月26日




■言葉は生き物である。時代に生き抜く言葉があれば、死滅する言葉があるわけだ。明治時代に森有礼という日本の近代化を日本語ではなく英語に期待をよせた人物がいた。施光恒『英語化は愚民化――日本の国力が地に落ちる』(集英社新書、本体七六〇円)では、この森有礼のことが書かれている。〈日本を近代化するには英語か、日本語か?――森有礼の「日本語廃止論」〉というコーナーがあり、
 〈これからの日本が世界に負けない国づくりをするには、英語を重視しなければならない。初等教育から学校では英語を教授(使用)言語とし、政府機関で用いられる言語も英語にすべきである――。〉(本書より)
 なんとも、ものすごいことをいう。「英語公用語化論」をとなえたのは、のちに初代文部大臣もつとめた森有礼だった。明治時代の話である。これがもし、今、現在、日本でそんなことを発言したら、どーなってしまうだろうか。つまり、日本語を英語にしてしまえというのだ。国会も英語で、ということだ。間違いなく森有礼はテレビに映し出されて、「スミマセンでした」と、頭を下げてあやまされたに違いないだろう。
 〈森有礼は、日本の近代化は日本語では難しい、近代化して欧米列強に負けない国づくりを行っていくためには英語で国づくりを進めていかなければならないと考え、日本語廃止論にまで踏み込んだ極端な主張を繰り広げた。その主張は、世界と伍していくために、政府内では日本語の使用をやめ、英語で政務万事を執り行うべし、というものだった。〉(本書より)
 そーいえば、あの太平洋戦争の時、日本は言葉の中に英語を使ってはいけないということになったらしい。私の子供の頃は、ラジオなどのマンザイでよくやっていた。当時の野球をすべて日本語とし、敵国の英語を使ってはいかんということであった。ストライクはいけない、いい球、といえということであった。野球の用語すべて日本語とした。それをマンザイでやり、国民はあまりのバカ馬鹿しさに大笑いしたのであった。
 〈明治の最初期の知識人、たとえば岡倉天心や内村鑑三、新島襄などは、ほとんどすべての学問を英語で学んでいた。そもそも一八七〇~一八八〇年代当時は、日本語で書かれた教科書が存在しなかった。西洋の学問を修めた日本人もほとんどおらず、日本語で教えられる教師がいない。教師の多くはお雇い外国人だった。〉(本書より)
 英語は知識人のものであった。森有礼はスピーチについて物議をかもしている。
 〈西洋流のスピーチをするのに西洋語でなければ無理だと言う森有礼に向かって、君は寺の坊主の説教も、寄席の軍談も落語も知らんのか、あれこそスピーチではないかという批判は、ユーモラスではあるが痛烈なものだ。(本書著者訳)〉
 これは福沢諭吉の森有礼に対する批判である。〈日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ、英語を使い英文を用いるなどと、取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり〉と、福沢諭吉は「学問のすゝめ」でも森有礼を「取るにも足らぬ馬鹿を言う」といっている。英語化は日本を駄目にするという。英語で駄目になった日本ってどんな国になるのだろうか。







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