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評者◆大塚真祐子(三省堂書店神保町本店)
「震災後」を生きつづける私たちの、信じられる希望がここにある
薄情
絲山秋子
No.3244 ・ 2016年02月27日




■東京で大雪、などというと雪国の方は鼻で嗤うだろうが、先月の雪で都心の積雪は6㎝だった。その6㎝が通勤を直撃し、交通機関には大幅な乱れが生じた。大幅な乱れと一言でいえばそれまでだが、会社に着くのに普段の三倍の時間を要し、着いてからもすっかり疲弊して、車内の阿鼻叫喚や鉄道会社への呪詛を誰でもいい、話したくて仕方なかった。そうして不条理な疲労と折りあいをつけようとした。
 絲山秋子『薄情』は大雪の場面から幕を開ける。二〇一四年、群馬や山梨で観測史上例を見ない積雪といわれた「あの大雪」である。
 物語の中心人物である「宇田川静生」は群馬の実家に暮らす青年だ。無職だがいずれは伯父の神社を継ぐことになっている。定まらない日々のなかで後輩の「蜂須賀」や、「変人工房の鹿谷さん」らと、ゆらりゆらり繋がっていく。
 「自分の内側になにかが足りない気は、ずっとしていた」。宇田川は冒頭で語る。「なにが」「いつから」足りないのか、その欠落が本当なのかもわからない。ただ「気がついてしまったという確信」だけはぶれずにある。そのぼんやりと連続した感覚のさなかに「あの大雪」がくる。
 「ちょっとみんな、大袈裟っていうか、ハイになってるよね」と帰郷したばかりの蜂須賀は言い、宇田川は同意できない。そして、「震災」が「東日本大震災」をあらわすように、「あの大雪」に名前がつかないことを宇田川はおかしいと思う。その後も大雪の向こうにときおり「震災」の記憶が見え隠れする。書かれているのはあくまで大雪であって震災ではない。ただ宇田川が折にふれて震災のときもこうだった、と思うとき私も同じだと思う。その姿に先月の雪で高揚した自分を重ねる。
 宇田川の欠落が何なのかわからない。ただ「足りない」感触は私にもある。足りないと知りながらやり過ごせていたものがそうできなくなったとしたら、根底に「震災」を感じる。町に渦巻く暴力的な水と、遠目の建屋にのぼる白い煙を繰りかえし見ながら、生まれたのは行きどまりの意識だった。どこにも行けない、何かの「果て」に来てしまったと感じた。そのとき自分の欠落は輪郭を持ったと思う。
 『薄情』は震災を書いているわけではない。むしろ分量としてはさほど触れていない。しかしこの物語の背景にあるのは明らかに「震災後」の空気であり、世界である。
 物語は終盤の事件と、ある出会いによって急速に収束する。欠落は欠落のままあり、タイトルの『薄情』の意味は二重三重にもはりめぐらされ、すべては留保のままだ。
 「人間関係はかけ算だなあ」と宇田川は自分の欠落を意識しつつ思う。「ただ、神様への祈りだけは足し算だったらいい」、帯にも引用されたこのひとすじの光のような一文が、結尾の出会いの煌めきにつながる。宇田川は情に薄いわけではない。余計なものを足さず、祈りが祈りとして届くために、留保としての「薄情」はあっていい。「震災後」を生きつづける私たちの、信じられる希望がこの物語にはあるのだ。







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