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評者◆稲賀繁美
ボッティチェルリの《春》:神は細部に宿る――矢代幸雄の部分拡大写真の起源と伝播
No.3244 ・ 2016年02月27日




■おりから上野公園ではサンドロ・ボッティチェルリ1444/45‐1510)の展覧会が催されている。矢代幸雄(1890‐1975)といえば、このボッティチェルリについて、東洋人として英文で唯一の著述をなした美術史家として知られる。1925年にメディチ協会より発刊された3巻の豪華本は、今日なおこのルネサンスの画家に関する研究書の書誌に刻まれている。
 その矢代の著作は3巻のうち2巻を写真が占める。とりわけウフィッチ美術館の名品《春:プリマヴェーラ》については26葉を数える部分拡大写真、あるいは原寸大の接写撮影が大型図版で掲載されている。これは当時欧米でも新機軸であり、大きな反響を呼んだ。弱冠30歳でロンドンのナショナル・ギャラリー館長に就任したケネス・クラークは矢代の盟友だったが、同館の『絵画・百の細部』(1938)を刊行し、序文で矢代の見識に言及する。ダニエル・アラッスDaniel Arasseの『細部』Le Detail(Flammarion,1992)や、『原寸大美術館』(結城昌子・小学館,2005)などは、さしづめその末裔だろう。
 欧米遊学中の和辻哲郎は1927年、ウフィッチで購入した絵葉書を祖国の妻、はるに送る。そこには《春》の女神の足元の草花の部分写真も含まれていた。これは矢代の指示によって造られた絵葉書だろう、と和辻は記している。矢代が世話になった恩師バーナード・ベレンソンBernard Berensonのフィレンツェの旧邸、イ・タッティに勤めるジョナサン・ネルソンJonathan K.Nelsonによれば、矢代は自著のために腕利きの写真家、ジャコモ・ブロージGiacomo Brogiを雇って部分撮影を依頼した。ボッティチェルリの画面の細部に隠されていた美に開眼したこの写真家は、矢代に撮影写真一式を譲ったが、同時にこれをウフィッチの売店で販売する絵葉書にも転用したという。
 和辻経由でその写真が遥か極東の日本にも届いたことになる。
 さらに佐藤道信によれば、ここには便利堂や美術雑誌『国華』などが、古美術研究に採用したコロタイプの原寸大写真の影響も推測される。ローレンス・ビニヨンLaurence Binyonも証言するように、欧米遊学以前の矢代は東京美術学校内外で、こうした部分写真の撮影風景に身近に接していたはずだ。限られた大きさの乾板によって順に原画を撮影してゆくため、結果的に不規則なトリミングや断片的な画像が出来上がる。後の法隆寺金堂壁画の撮影もその一例。
 とすると矢代の部分拡大図は、ジョヴァンニ・モレルリJovanni Morelli流の細部の筆癖による作者同定attribution技術を、日本流の原寸大複製写真撮影と組み合わせ、そこに新たな美的観照の方法を見出したことになる。それはまた和辻の『風土』の手法にも通ずる俳句的観照法でもあった。神は細部に宿る。それはベレンソンと覇を競った異能のルネサンス美術研究者アビ・ヴァールブルクAbi Warburgの座右銘でもあった。

*「美術史家・矢代幸雄における西洋と東洋」Art Historian,Yukio Yashiro:between the West and the East,東京国立文化財研究所1月13日。お世話頂いた山梨絵美子氏に謝意を表する。また「ボッティチェリ展」Botticelli e il suo tempoは東京都美術館、1月16日‐4月3日。







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