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評者◆秋竜山
雑草魂、の巻
No.3243 ・ 2016年02月20日




■植物人間という。なんと、おそろしい造語であることか。稲垣栄洋『たたかう植物――仁義なき生存戦略』(ちくま新書、本体七六〇円)で、〈私たちは植物を見ると癒される〉と、いう。まさに、その通りだ。植物にかこまれて生活したい。冬の枯木を見ても、緑の葉がなくても、そんな植物であっても、「それは、それでいいものだ」なんていう。植物を見るのもいやだなんて人を聞いたことも見たこともない。植物は人間をどのように見ているかしらないけど、ね。
 〈植物たちの世界は、争いのない平和な世界であるように見えるかも知れない。ところが土の中の見えない戦いは、さらに熾烈を極める。植物は水や栄養分を吸うために、土の中に根っこを張り巡らせる。当然、他の植物の根っこも伸びてくる。そして、限りある土の中の水分や栄養分を、奪い合っているのである。平和そうに見える植物たちも、じつに激しい戦いを繰り広げている。残念ながら、これが自然界の真実なのである。〉(本書より)
 あらためてビックリさせられるのは、植物は根っこをまったく見せていないということだ。地面の下にどのような根っこがからみあっているのかわからない。一本の根っこが出ていないということは、驚きと同時に、そんな根っこに足をとられてころんでしまうということはまずない。千年松の木の下には千年松の根っこがあり、それによって地上の松の木はささえられているということ、など地面を見ただけではわからない。植物としても見せたくない、見られたくない姿だろう。根っこが地面の表に現われた時は、その植物の生命がとだえる時だろう。足元にはえている雑草を見て、とっさに根っこのことを想像するだろうか。想像するというより、草むしりだろう。雑草の運命は、人間によってむしり取られることだ。草むしりされるために生まれてきたようなものだ。
 〈江戸時代の「説法詞料鈔」という本に次のような一節がある。「たとえば田畑の植物は日照りには枯れ、雨降れば育つなり。これか人力によりて植えたるゆえなり。路辺に生いたる春草は、土より自然に生じて人力によらず。かかるがゆえに大地のうるおいのゆえに日照りに枯ることなし」人間が丹精を込めて育てている作物が干ばつで枯れていくのに、誰も水をやらない道ばたの雑草が青々と繁っているとうらやんでいるのだ。それはそうである。作物は毎日、水を与えられているが、雑草に水をやる人がいない。常に乾燥と戦っている雑草は、根の伸び方が違うのである。(略)このように植物は乾燥したときには無理に枝や葉を伸ばそうとするのではなく、じっと深く根を張るのである。〉(本書より)
 何かの本で読んだのであるが、雑草という名をつけたことについて、雑草に気の毒である、というようなことであった。ちゃんとした名前があるのに、まとめて雑草と呼ぶ。「もし、もし、雑草さん」と、声をかけても雑草は「ハイ」などとは答えないだろう。
 〈踏まれながら花を咲かせる道ばたの雑草に、人はセンチメンタルな気持ちになる。しかし、雑草にとっては踏まれることさえチャンスである。(略)踏まれることによって種子を運ぶのである。〉(本書より)
 雑草はたくましいというイメージを誰もが持っている。







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