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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻⑨
No.3242 ・ 2016年02月13日




■5年遅れで大学へ

 1992年に成立したPKO協力法に疑念を抱いた井筒高雄は、93年初春から上司と当局と応酬を重ねるなか、依願退職扱いが認められ、同年3月31日付で自衛隊を去ることになった。23歳になっていた。
 除隊を本格的に決意したのは前年末だったが、今後の進路について思案した。まずは再就職の道だ。しかし、高卒の資格のままではゼロどころか5年も遅れたマイナスからのスタートになる。自衛隊を辞めた理由の“本線”はPKO協力法の理不尽さだが、“伏線”には防衛大を出れば能力や努力に関係なく幹部へキャリア・アップできる人材登用制度の理不尽さがあった。やはり「四大出」でないと日本社会では駄目なんだと、学歴社会の悲哀を痛感させられた5年間であった。
 もちろん手に職があれば、学歴がなくともやっていける。実は自衛隊は手に職をつける偉大な「授産所」であることを、井筒も目の当たりにして5年間を過ごした。
 たとえば給料をもらいながら調理師学校に通わせてもらって免許を取得。その上で駐屯地で1000人以上の食事をつくる経験をつめる。そうなれば、除隊しても、大手レストランや旅館ホテルなどから引く手あまただ。また、先輩や同僚のなかには、調理師免許や栄養士資格の取得を前提に入隊してくる料理屋やラーメン屋の後継者もいた。技術系では、訓練の一環として電気工事士の免許をとり任期満了で地元に帰って家業をついだ先輩もいた。
 実は、「手に職」だけでなく「学歴アップ」も可能だった。家業が八百屋の仲卸という同僚は大学卒のキャリアを手に入れた。入隊時に希望を出しておくと、4時半ぐらいで訓練を終えて大学の夜間部へ通わせてもらえるのだ。
 除隊を覚悟してこの先の人生進路を考えるなかでつくづく思ったが、自衛隊は「軍隊」というよりも素晴らしい「職業訓練学校」だった。他国、たとえば徴兵制の韓国の若者たちからは驚かれ羨ましがられるだろう。そう思ういっぽうで、PKO協力法でそんな平和な自衛隊が変質するかもしれないと不安も覚えた。
 なお、そうした「手に職」組と「キャリア・アップ」組は、高卒の任期制隊員のうち1割か2割ていど、大半は民間警備会社などに就職するか、定年退職まで勤め上げるかで、井筒もPKO協力法さえなければそのつもりでいた。「手に職」も「大学卒資格」も考えてもみなかったので、いまさら悔んでも「後の祭り」でしかしない。
 そうなると、大変かもしれないが、自分に残されている道は、大学進学にチャレンジするしかないと思いたった。しかし、よくよく検討すると事はそう簡単ではない。大学入試は目前に迫っている。しかも5年間のブランクがあり、英語も国語も社会もとっくに忘れている。ひと月そこそこの準備で高校生や予備校生と机を並べて受験してもとても受かる自信はなかった。
 そこで母方の叔父に相談してみた。叔父は京都で有力私大の附属中学の教師をしていた。叔父夫婦には子供がおらず、井筒は小さい頃から休みになると遊びに行き、子供同然のように可愛がられていた。
 5年前、高校を卒業するときも進路の相談に乗ってくれ、陸上部の推薦枠のある関西の大学へ進学し、叔父の家から通ったらどうかとまでいってくれた。前述したように、そのときは、「陸上」と「学歴」という「二兎」を追うつもりはなかったので、断わって自衛隊体育学校を選んだが、今回叔父は「社会人入学」を勧めてくれた。
 さっそく書店で「社会人入試」の本を購入、調べてみると、大学によって若干違いはあるものの、おおむね次のような条件をみたせば「書類選考」と「国・英・小論文・面接試験」で入学できるとあった。
 一つは「5年間の勤務経験」である。自衛隊も該当するか問い合わせたところOKだった。PKO協力法が1年前に成立していたら、いきなり門前払いになるところだったので、ついていた。
 もう一つは、「高校時代の総合成績が5段階で3・2以上」。はっきりした記憶がなかったので、5年ぶりに母校に問い合わせるとそれをクリアしていて、安堵に胸をなでおろすと共に、改めて文武両道派の陸上部の監督に感謝した。「頭を使わない奴は勝てない」がモットーで、赤点を取ると厳しく指導をうけたことの賜物だった。
 かつての担任からは「23歳というと自分では歳をくったと思うかもしれないが、人生は長い。がんばれ」と励まされた。
 これで「基礎的条件」はクリアしたが、肝心の目標が定まっていなかった。大学は手段にすぎない、大学を出て何をするのか、したいのか、である。たとえ大学を出ても「5年遅れ」のハンデはついてまわる。さてどうするか。叔父もふくめて母方の親類一族には教師が多いし、三人の息子のうち一人は教師にさせるのが母親の昔からの夢だったこともあり、叔父や母に相談すると、「多少遠回りした人生を送っていた方が教師としては幅が出ていい」と喜んで背中を押してもらえた。そこで教員をめざすことにした。
 しかし、まだ超えなければならないハードルが残っていた。
 ほとんどの大学が1月の頭で募集は締め切り試験も終わっていたのである。かろうじて残っていたのは、どちらも関西の京都精華大と大阪経済法科大の2校だけだった。
 両校から学校案内をとりよせてみると、教職課程をとるには大阪経済法科大の方がいい先生が揃っているように思えた。また、京都市内より大阪府下の「片田舎」のほうが遊ばずに勉学に励めそうだった。だめだったら予備校に1年通って一般入試を受ければいいと、大阪経済法科大一本に絞った。
 2月の面接試験では「一番生活に密着しているのは社会科だと思うので社会科の教師になりたい」「自衛隊の経験をふくめて、戦争と平和を子どもたちに教えたい」と答えた。これが効いたかどうかは不明だが、決断してからわずか3か月、正式な除隊から1日のロスもなく、晴れて大学生になることができたのである。
 しかし、この時点では、後の社会運動家・井筒高雄はいまだつくられていない。「敗者復活」という人生レースを5周遅れでひた走りはじめたばかりの元自衛官であった。
(本文敬称略)
(つづく)







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