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評者◆添田馨
歴史の還流に向きあう②――「連累」という言葉が切り拓く眺望
No.3242 ・ 2016年02月13日
■ある読書会でのこと。もうずいぶん前になるが、加藤典洋さんの『敗戦後論』の読書会での席上、われわれは自分達の上の世代がやらかした近隣諸国への侵略行為について、未来永劫にわたり謝罪を続ける必要があるのかという問題が議論になった。その時、私は、直接自分には責任のない過去の行為だったとしても、何らかのかたちでそれは受け止めていかねばならぬのではないか、と意見を述べた。そうしたら、複数の参加者から猛烈な反発を喰らってしまったことがある。爾来、こうした歴史認識問題については、自分でもほとんどローディング状態に陥っていたのが正直なところだった。
だがその間も、問題が解消したとか解決に向かっているといった兆候は、どこにも見えなかった。最近では、「南京大虐殺関連資料」のユネスコ世界記憶遺産登録に対する日本側の反発や、従軍慰安婦問題の日韓外相会談における唐突な決着といったニュースが記憶に新しいが、どうも問題の本質がずれているように思えてならなかった。思考停止がもたらす現政権の欺罔的な姿勢も、一向に解除される気配はなかった。 折りも折、たまたま新聞記事(*)で“implication”(連累:れんるい)という言葉があることを知った。テッサ・モーリス=スズキによると、その意味は「『事後の共犯』的な関係」のことだという。すなわち「直接関与していないにもかかわらず『自分には関係ない』とは言えない。そんな過去との関係を示した概念」だと説明されていた。 歴史認識問題が、そこで生きた人々の経験の総体を含んでいる以上、政府間だけの合意や金銭的手段のみによって解決できないのは自明であろう。ましてやこの「連累」の意識を共有しない権力者に、解決への道筋が描けるとはとうてい思えない。この言葉が、いまも跋扈する「過去の暴力の構造」との闘争をうながす狼煙なのだと再認識できた時、思考のローディング状態も、まったく新しい眺望へと切り換わっていくに違いない。 (*)朝日新聞2015年12月25日(朝刊)「文化・文芸」欄 ――つづく |
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