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評者◆稲賀繁美
pirituality 霊性という言葉について――東西宗教対話の概念史的基礎づけのために
No.3239 ・ 2016年01月23日




■天心・岡倉覚三の『茶の本』にcup of spiritualityという言葉がある。英語の慣用表現cup of teaと脚韻を踏んだ駄洒落だが、日本語に訳すとこうした側面は見失われる。『茶の本』刊行の1906年時点で、英語のspiritualityという語彙がそれなりの説得力を持つとともに、それがなにやら「東洋の神秘」を伝達する媒体として有効であったことも推察される。
 このspiritualityという語彙が英語として市民権を獲得し、英語圏の知識人層に訴えかける術語となりおおせたのは、世紀の転換期あたり。震源地は、冨澤かな氏の研究によれば、シカゴ・コロンブス博覧会と並行して開催された世界宗教議会Parleament of World Religion,1893の席で一躍有名を馳せたベンガル人Vivekananda(1863‐1902)にあったようだ。そこには、あくまで東洋原産の「精神的」霊性が、東西の別を超えて世界的な普遍性を獲得してゆくという制覇の過程が見えてくる。岡倉はこのビベカノンドのシカゴでの成功に刺激を受け、織田得能と諮って京都の東本願寺で第2回世界宗教議会、般若波羅蜜多会の開催を画策した。それが岡倉の第一回インド旅行の動機だった。会議実現はビベカノンドの夭折に引き続く要因が競合して失敗に終わるが、その経緯は岡本佳子氏の研究により再発掘されてきた。
 ビべカノンドがspiritualityの語を多用したのは、シカゴでの成功に続く欧州行脚の終盤からインド凱旋への時期に集中するという。またspiritualityに対応するベンガル語表記は一定していない。言い換えればspiritualityとは東洋思想の世界的普遍性を訴える過程で、英語表現として新たに鍛え上げられた用語だったことが見えてくる。それはあくまで翻訳過程、接触領域における産物であり、ヴェーダなど印度古典に確固たる文献的な原典語彙は見出せない。
 マックス・ミュラーによるRamakrishnaの評伝を見ても、師から弟子への教えの相伝を述べる文脈で頻出するのが、spiritualという形容詞だという。ラーマクリシュナはビベカノンドの偉大なるグルguru、霊性の道を照らし示す導師だった。今日、英語の語彙となったguruにもspiritual teacherという含意が濃厚に残る。師弟の交わりのなかで霊性は励起され、師弟の絆とともに伝達される。
 若き日の大拙・鈴木貞太郎は、シカゴ宗教会議に臨席しており、釈宗演に仲介されたポール・ケイラスのもとで『大乗起信論』や『道徳経』の英語翻訳を発刊する。実は『茶の本』に見える『道徳経』からの「道」の定義の英訳は、貞太郎下訳とは知らぬまま、岡倉がこの直訳を巧みに換骨奪胎・我田引水して万物流転のpassageへと変調したものだった。これは最近筆者が
突き止めた事実だが、その大拙が大東亜戦争期に唱えたのが、他ならぬ『日本的霊性』だった。
 霊性に相当する語彙はヘブライ語の「息吹」ruahを置換したギリシア語のpneumaがラテン語でspiritusと等値と看做されたという神学的な経緯をもつ。三位一体の教義は度重なる公会議での論争を経て彫琢されたが、それだけに教義上厄介な問題を孕む。聖霊か悪霊かの判別を託されたのがカトリック教会の権威であり、異端審問もそこに発する。イエズス会創始者のイグナシウス・デ・ロヨラは霊想の教程を定めたが、それと所謂「東洋的霊性」との異同も問われよう。19世紀末西欧でのspiritualism再興の動きは神智学経由でW.KandinskyのUber das Geistige in der Kunst(1908)にも木霊しているが、そこに同時代東洋の支那学者や美学者たちは、六朝以来の「気韻生動」との親近性を見出すことにもなる。聖なる気=聖霊とはHagio pneuma(希)‐spiritus sanctus(羅)‐Heilige Geist(独)。信仰の核心だけに、みだりに触れてはならない禁忌でもあった。気≒霊性≒Spiritualityの語彙史的世界遍歴と相互作用とは、あらためて注目に値する。

*第4回国際ベンガル学会、東京外国語大学、2015年12月12日の討議の席での筆者による発言より。







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