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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻⑦
No.3238 ・ 2016年01月16日




■このまま本当の戦争になったら「とても戦えない」

 井筒高雄に退職の決意をいっそう固めさせた自衛隊への根本的危惧がもう一つあった。それは実力部隊としてPKOにまで踏み込むのには、組織の統率運営力に大きな欠陥があることだった。今も当時もそうだが、防衛大学校か一般大学を出てから幹部候補生学校を卒業したエリートたちは、いきなり中隊長の手前の見習幹部として着任、井筒たち叩き上げの上に立つという組織体制に大枠変わりはない。
 彼らは、幹部になるためのGM(ジェネラル・マネージャー)教育を受けてはいるが、それは机上の“お勉強”であって、現場を何十年も務めあげた「叩き上げ」を束ねるのは容易ではない。実際、井筒は、彼らが命令を出した後に、井筒のようなレンジャー隊員や陸曹などの中堅ベテランに「さっきの指示はあれでよかったか、もっとこうした方がよかったのか」などと確認を求める、国民にはあまり知られたくない何とも情けない体験を何度もした。中にはそのために叩き上げの部下たちから「いじめ」にあい、それに耐えられずに補給などの「後方部門」へ回されてしまう幹部候補もいた。井筒としては、そんな状況のまま本当の戦争になったら「とても戦えない」という絶望に近い感想を抱かざるをえなかった。
 それでも、国内で“戦争ごっこ”をしているのなら、それでもいい。井筒はその枠内で務め上げるのも人生だとある種、叩き上げの諦めに似た覚悟はあった。しかし、PKOで海外に行くとなったら話は違う。前回記したように、レンジャー資格者ゆえに白羽の矢が立ち、連隊長から「PKOに行く気はあるか」と打診を受けた。「現状では行きたくない、行くのなら犬死にならないように法律や制度を整えてから出してくれ」とのみ答えたが、実はこう言いたかった。
 もし自分が自衛隊を辞めずに残るのであれば、せめて幹部候補生にはレンジャー教育を通過させてからキャリアをスタートさせ、その上で現場の指揮統率が不十分であれば降格させるぐらいの実力システムに変えてくれと。現状では高卒と大卒とでスタートラインが大きく違っていて、高卒隊員で統率力があっても永遠に大卒のキャリア組を追い越すことはできない。そんな“戦争ごっこ”の指揮系統のままPKOで海外に出ていくことになれば、「犬死」の確率はますます高まる。井筒はそう確信して退職の肚を最終的に固めたのだった。
 当時の井筒はまだ20歳そこそこで、それは直感的な判断であった。しかし、安保法制をめぐって国民的議論が沸騰した2015年夏、井筒は各界の識者に対して安保法制の問題点を突撃インタビューして本にまとめたが(『安保法制の落とし穴』ビジネス社)、そのなかで軍事ジャーナリストの半田滋氏と対談、改めて往時の自分の判断は間違っていなかったと確認できた。半田氏は長年にわたる自衛隊ウォッチャーとしてこう指摘した――。
 自衛隊は平時の軍事組織で有事の軍隊ではない。常に戦争を繰り返しているアメリカでは、軍の幹部候補生は経験と指揮能力の両方について、常にチェックを受けながら昇進、ふさわしくないと判定されればふるい落とされて一般社会に戻される。一方、日本の自衛隊は官僚組織とまったく同じで、入隊・入省のキャリア区分の違いだけで一生が決まってしまう。幹部候補生はアメリカと違っていったん自衛隊に入ったら指導力をチェックされることはなく、一方、一般隊員はいくら能力があっても一定程度以上には登用されない。PKOのように武器を持って海外に出ていく有事の一歩手前の厳しい任務が与えられた時には、当然、この組織のありようは見直すべきだった。しかし、PKO協力法ができて四半世紀近くたち、結果として、一発の銃弾も撃っていない、一人の死者も出ていない、また相手国の人々を殺すようなこともしていない、その奇跡的ともいえる「成功体験」で、このままでいいのだと組織のあり方を見直す機会が失われてしまった、と。
 半田氏の指摘はそのとおりで、二十余年前の自分の判断は「正解」だったと改めて思った。
 こうして退職を決意した井筒は、事を起こす前に両親に相談した。もちろんPKOの問題点もきちんと説明した。父親は、井筒が体育学校の最終選抜に落ちて自衛隊を辞めたいと考えた時とは違って慰留はしなかった。じり貧の家業の八百屋で子どもたちを食わせることもできず、本音としては「せっかく食い扶持を稼いでいたのに」という思いはあったかもしれないが、「海外で何があるかわからないし、それでいい」と容認してくれた。片や母親は心から「よかった、よかった」と歓迎してくれた。
 これで後顧の憂いがなくなった井筒は退職を実行に移すことにした。しかし、事はそれほど簡単ではなかった。
 当時の井筒の階級である三等陸曹の人事には師団長決裁が必要だった。所属中隊の幹部から、それまでの成績表を全部見せられ、「三等陸曹の教育隊の成績が上位で、一つ上の二曹になるための第一選抜枠に入っているから、問題を起こさない限りは4年で昇進できる。幹部としても期待されているんだから、とにかく依願退職はやめて残って頑張れ」と説得と慰留を受けた。
 一見、井筒の将来を考えてくれての応対のようにみえたが、内実はそうではない。部下に退職者が出ると自分のキャリアに傷がつくことをおそれた保身から出たものだった。そこで井筒は、伝手をたよって弁護士に相談した。すると、今は「平時」なので退職したい時期の15日前に口頭でもいいから通告すれば翌月の1日に職場にいなくても「懲戒免職」にならずに「依願退職」扱いで退職金ももらえると「指導」を受けた。
 しかし、意外にも案ずるより産むがやすしだった。弁護士に相談していると漏らしただけで、あれほど慰留につとめ「依願退職」をしぶっていた幹部は手続きをすすめ、師団長があっさり折れたのだ。だが、あれから四半世紀して、これが「僥倖」だったかもしれないと知らされた。
 前述したように井筒は『安保法制の落とし穴』のコーディネーターとして各界の識者にインタビューを試みたが、そのうちの一人が憲法学の第一人者である小林節慶応大学名誉教授で、その折りに、自身の退職をめぐる決着について話したところ、「当局が騒ぎにすることを恐れたということでしょう」と言われて次のように謎解きをされた。「通常の職場であれば、弁護士がいったような手続きさえとれば、雇用主の意向に関係なく依願退職はできる。しかし、一般法の労働法より特別法である自衛隊法のほうが優先され、その自衛隊法には依願退職は許可制と記されている」、つまり、法律的には、井筒に「理」と「利」はなかったのである。
 当時、井筒高雄はそんなことは知る由もなく、1993年の3月31日付で自衛隊を依願退職することになったのである。
(本文敬称略)
(つづく)







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