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評者◆秋竜山
蹴られた犬、の巻
No.3238 ・ 2016年01月16日




■頭へきて、「犬をける」。ヒトをけるならまだしも、動物である犬をけるのである。
 片田珠美『なぜ、「怒る」のをやめられないのか――「怒り恐怖症」と受動的攻撃』(光文社新書、本体七六〇円)。本書では、さまざまな形で人間の感情の「怒り」について精神分析をする。一度も怒ったのをみせたことのないヒトが、ある日突然にきれた。みんなビックリしてしまうだろう。「ヘー!! あのヒトも怒るんだ」。あの、おとなしい人が怒るなんて、とても考えられないことである。しかし、頭へきたのである。信じられない!! なんて、これは失礼なことである。その、怒ったことに対し、理由はともかくこの感情を喜ぶべきことかもしれない。ロボットは怒らない。人間だもの怒ってあたりまえだ。人間らしい。ロボットでなくてよかった!! というべきだろう。もしかすると、勇気を出して頭にきたのであったかもしれない。
 〈ある人に対する怒りを間接的に表現するために、別の対象に怒りをぶつける、という手法もしばしば用いられる。よくあるのは、「犬をける」ことによる置き換えである。本当に怒りたい相手が大事にしているものを傷つけることによって、怒りを表出するわけである。なかには、相手の面前で、「犬をける」ような人もいるが、こういう場合、普通の感性の持ち主であれば、怒りがじつは自分に向けられていることに気づくはずである。〉(本書より)
 ビックリしたのは、けられた犬であろう。いきなり、けられたのである。突然けられて、キャンと鳴くだけである。なぜ、けられたのか犬はいくら考えてもわからないだろう。やつあたりに犬をけられた。自分がけられたのでなくてよかったなんて考えるヒトはまずいないだろう。実際にはこのような光景を見たことはないが、昔の子供マンガにはよくあった。私のおぼえているマンガは、けられた犬が怒って、けった相手に飛びかかっていったのである。実際にはどうなんだろうか。犬がけった相手に飛びかかるということがあるのだろうか。「ヤイ!! なにするんだ。けるなら俺をけろ。うちの犬をけるということは、うちの家族のものをけるということだぞ。うちの孫をけとばすということだぞ。うちの女房をけるということだぞ。ゆるさん!! 絶対にゆるさん」。そばにいた女房「そーよ!! 主人のいう通りよ。犬をけるより当人の主人をけとばすべきよ」。
 いずれにせよ、やつあたりに飼い犬をけとばすなどやってはいかんことだろう。石コロをけとばすというマンガも数多くあった。歩きながら道ばたに落ちている小石である。けられた石が飛んでいって、どこかの家の窓ガラスをガチャンとわってしまう。「コラ!! うちの窓ガラスにうらみでもあるのか」と、家の主人がどなって怒る。子供は、「それ、逃げろ!!」。昔は石コロをけとばすというのは腹いせでよくやったものである。一度や二度は誰もがやっていたであろう。当時は凸凹道であったから、道ばたには石コロだらけであった。石コロをけることによって、うっぷんばらしができたものであった。今はコンクリートでかためられた道であって、石コロ一つ落ちていない。ムシャクシャしている時でも、足元の石コロをけとばすことはできない。石コロのかわりになるかどーかはしらないが、サッカーやラグビーのボールであったりする。それがやつあたりになるかならないかわからない。







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