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評者◆秋竜山
謝るべきか、謝らざるべきか、の巻
No.3237 ・ 2016年01月09日




■前野隆司『幸せの日本論――日本人という謎を解く』(角川新書、本体八四〇円)で、〈第二章 日本人の十の特徴とは?〉〈③日本人は必要以上に謝る〉の中で、
 〈日本人は「アイアムソーリー」と言いすぎる、という話もあります。これも、相互独立型自己観を基本と考える欧米から見ると、妙に自信が不足しているように映るのでしょう。また、アメリカのような訴訟社会では、謝ってしまうと不利になってしまうから、謝るべきではない、と言われます。自分を守るための利己ですね。先ほどの、早い判断をして自分の会社だけ儲かろう、というのも利己でした。つまり、利己的に生きたいなら、早い判断をし、謝らずに自己主張して生きていけばいい。〉(本書より)
 よく考えてみると、私の子供の頃は、親などに強くいわれたものである。どこの親もそうだった。「とにかく、さきに謝れ」と、いうおしえであった。今の時代からすれば、「なんで、謝らなくてはならないんだ」ということになるだろう。謝る理由がわかってもわからなくても、どーでもいいから、とにかく謝れというのであった。こっちが悪くなくても謝れというのである。屁りくついわずに謝れという。どうみても相手が悪い。でも、謝れ。日本人は、みなそういう考えをもっていた。まず頭をさげろ!! 昭和三十年頃までは、謝れの時代であったように思える。それが、昭和二十年から三十年頃にかけて、子供同士の会話の中で、「アメリカでは謝ってはいけないということらしいぞ。先に謝ると、謝ったこっちが悪いと認めたことになるから絶対に謝るべきではない、らしい」。子供ばかりではなく大人たちもそんなことをいい始めたのであった。その内、世間で「今に、日本中がアメリカと同じように謝ってはいけないようになる」と、いうようになった。「もし、アメリカに戦争で負けていなかったら、謝ってはいけないなどということはなかっただろう」なんていう大人もいた。そして、アッという間だった。日本中がヒトに謝ってはいけないという風になってしまったのは。先に謝れといっていた親も子供ゲンカで、「バカ、なぜ謝ったりしたんだ!!」などといい始めた。
 〈しかし、世界中、日本中の平和を願い、調和的に生きていこうと思ったら、些細な摩擦にも謝るのがベストです。みんながどんな些細なことでも謝り合う社会があったら、それは極めて利他的な社会です。日本の人が必要以上に謝ると考えるのではなく、近代以降の世界では、人間社会にとって必要な「謝る」という行動を忘れすぎているというべきなのではないでしょうか。「謙虚」という言葉もあります。日本人は、謝りすぎなのではなく、謙虚なのではないか。〉(本書より)
 日本の国民は、やたらペコペコ頭をさげる。昔のマンガなどみると「どーも、スミマセン」「いや、こちらこそ、どーもスミマセン」と互いに頭の下げくらべをしている。今のマンガにそんな光景があるだろうか。頭を下げるといえば、えらいヒトが高い壇上から、下を見おろすようにして頭を下げる。それをお茶の間のテレビの画面でうんざりするくらい観せつけられる。テレビというものはたんなる画像であって、謝られているという実感もない。映っている間のお役目であって、映っている数秒間のお茶の間喜劇である。







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