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評者◆秋竜山
あわてるようにいそぎ足、の巻
No.3235 ・ 2015年12月19日




■マンガでは歩く様を表現するのに、〈砂ぼこり〉を描いて見せている。多分、〈のらくろ〉のマンガあたりからだろう。砂ぼこり以外にも表現があみ出されているが、砂ぼこりが有名である。子供マンガに多い。砂ぼこりの記号とは別に、文字で効果音のようなものも書かれる場合もある。〈てく、てく〉〈サッサ〉〈のたり、のたり〉〈ふら、ふら〉と、いったものであり、考えれば切りがない。〈フラ、フラ〉とか〈ヨタ、ヨタ〉とか。大勢で行進は〈ザク、ザク〉とか。いずれにせよ、歩くということは、前へすすむ行為だ。前進というべきか。後進となると、後へ歩くというのだろうか。後進か。
 堀井憲一郎『落語の国からのぞいてみれば』(講談社現代新書、本体七四〇円)で〈第七章 みんな走るように歩いてる〉が、各章も面白いが、特に興味深い面白さがある。落語の国、つまり江戸時代ということになる。落語だから、笑いにも通じる。〈みんな走るように歩いてる〉とは、江戸となると納得できる目に浮かぶ光景である。人は歩きながら人とぶつからない能力を持っている。よけあいながら歩いている。ぶつかりあっているのを見たことがない。駅の改札口なんて、あれは歩くというより走るというべきだろう。そんなに、あわてていそぎ足で歩いてどーする。そーいう自分もそうだ。江戸の人は、いそぎ足、走るように歩いていても、時間がないからではないだろう。歩きかたの基本的リズムだろう。現代は時間がなくて、あわてるようにいそぎ足である。都会は特にひどい。ノタリ、ノタリ歩いていたら、後から突きとばされるだろう。足のきかない老人もツエをかついで走っている。毎日、時間のたつのは早い。一年なんて、アッという瞬間のようだ。それにあわせて歩いているのだから、めまぐるしい歩きかたとなってしまう。今はスマホをにらみながら歩かなくてはならないのだから。
 〈「昔の旅は、右の足と左の足を互い違いに前に出して進むばかりという、きわめてのんびりしたもので」そういうマクラもある。昔の旅は歩くばかりだから大変だったし、またその半面、のんびりしたものだった。近代からとらえた江戸の昔の旅は、そういうイメージになっている。〉(本書より)
 やじさん、きたさんは、二人でのべつしゃべりまくりながらの道中であった。つまり、歩くという前進することは、おしゃべりのどんどん先に話が進行していくのにも通ずるものがあったようだ。バショーはソラをお供にして、一句ひねりながらの歩きであった。それを思うと、考えてみれば、昭和のはじめ頃までは、江戸の歩きと似たりよったりであっただろう。
 〈歩くしかないんだもん〉という項目がある。
 〈でもこれは、ちょっとちがう。ちがいますね。江戸に生きた人として言わせてもらうと、誤解されている。誰が江戸に生きた人間かはこの際おいといてね。〉〈歩くしかない時代には、歩く旅のことを、大変だとも、のんびりしてるとも、おもっていない。おもえないです。あたりまえだけどね。だって、歩くしかないんだもん〉(本書より)
 江戸の人は歩くことしかなかった。現代人はクルマにのるしか頭にない。少女の頃の美空ひばりちゃんは、歌謡映画の道中物の中では、次々と歌いながら歩いた。あの頃の東海道をひばりちゃんの歌とともに旅してみたい。そんな時代もあったってことだ。映画だけど、ね。







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