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評者◆秋竜山
本当は怖い歌「故郷」、の巻
No.3233 ・ 2015年12月05日




 高槻成紀『唱歌「ふるさと」の生態学――ウサギはなぜいなくなったのか?』(ヤマケイ新書、本体八〇〇円)。歌詞は変わらないが、風景は変わってしまうものだ。「故郷」が、そうだ。メロディーも変わらないが、うたう者が変わっていく。唱歌「故郷」がそうだ。浦島太郎は故郷へ帰ってみるが、山とか川はその場所にあるが、出会うのは知らない人ばかりだ。帰るべきではなかったろう。山や川を見たところでなんになる。「故郷」の歌詞は遠くにありてうたうものである。近くにいくとガッカリさせられてしまうものである。考えてみると「故郷」という歌は怖い歌であり、なつかしがって帰るべきところではない。
 〈「故郷」は次のような歌詞である。
 兎追ひし かの山/小鮒釣りし かの川/夢は今も めぐりて/忘れがたき 故郷(略) 私は戦後の「団塊の世代」に属すが、この歌は子供の頃からよく聞き、歌いもした。大人になって友人と談笑していてこの歌のことになり、「あれ、ウサギがおいしいって思っていた」、「ウサギがおいしい山ってどういう意味だよ」などと笑い合ったりする。それだけ、共有できる歌だといえる。〉(本書より)
 歌詞の二番、三番と続くわけだが、しみじみと故郷を歌いあげている。
 〈如何にいます 父母
 恙なしや 友がき
 雨に風に つけても
 思ひ出づる 故郷

 志を はたして
 いつの日にか 帰らん
 山は青き 故郷 水は清き 故郷

 里山の情景をうたった歌で、「朧月夜」がある。この歌も「故郷」と同じく髙野辰之が作詞し、岡野貞一が作曲したもので、発表されたのも同じ大正三年(一九一四年)で「尋常小学校唱歌 第六学年用」に初めて登場した。
 菜の花畠に、入日薄れ、
 見わたす山の端、霞ふかし
 春風そよふく、空を見れば、
 夕月かかりて、にほひ淡し

 里わの火影も、森の色も、
 田中の小路をたどる人も、
 蛙のなくねも、かねの音も、
 さながら霞める 朧月夜〉(本書より)
 この歌も恐ろしい歌である。その場に立ちすくんで、どうにもならない淋しさで泣いている自分を想像するといいだろう。子供の頃、夕暮れどき、わけもなく泣きながら家に帰ったことなど、あの時すでに体感していたのではなかろうか。唱歌は子供のためにつくられたものだろうけど、それが一生うたわれる歌になってしまっている。歌のすごさである。同じ髙野辰之による歌に大正元年(一九一二年)の「春の小川」がある。フッと思った。これらの歌は大正時代にうまれている。もしかすると、日本のもっとも日本日本した時代かもしれない。その時代の歌をなつかしがったり怖がったりするのは今の人たちであって、これから何十年後の人たちにとっては、わけのわからない歌となってしまうだろう。考えすぎかねえ。







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