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評者◆成川真(ブックポート203)
かつて男は誰もが少年だった
95  ※11月30日発売予定
早見和真
No.3230 ・ 2015年11月14日




■時が経てば経つほど、その時が宝物になっていく。
 子どもから大人へと移り変わる途中の高校時代というのは、何もかもが中途半端で、だからこそ背伸びをして無茶をしたり、いま思うと恥ずかしくなってしまうようなことを堂々とやっていたり。
 その三年間は、二〇歳の時には人生の七分の一ていどに過ぎなくて、三〇歳では十分の一で、四〇歳をこえた今は一四分の一だ。これから年を重ねるにつれ、新しい思い出が増えていき、高校三年間の割合は少なくなっていく。
 けれどどうしてだろう、その時間は記憶から薄れていくどころか、むしろ強く心に刻まれていくようだ。なんでもできて、なんにでもなれるという根拠もない全能感。見る物すべてが新鮮で、輝いて、好奇心に満ちていた毎日。
 常識や倫理や世間体という名の鎖に縛られた今の自分とは違うもう一人の自分、少年だった自分が、今でも記憶の底にはいつもいる。その自分が、物語を読み進める途中、時折現れ、こちらをじっと見つめてこう問いかけてくる。
 「今、キミは幸せかい? ボクの望んでいた自分になれたかい?」
 そうだな……ごめん、お前の望むオレにはなれなかったかもしれない。でも、それなりに幸せなんじゃないかな。
 少しばかりの罪悪感を抱きながらも、まんざらでもない顔をして答える。
 早見和真『95』は、そんな風に昔の自分ともう一度会話をさせてくれるような素晴らしい青春小説だ。
 物語は現在二〇一五年、主人公・広重秋久……通称「Q」の元にSNSを通じて一通のメッセージが届くことからはじまる。待ち合わせの約束をして会った女子高生に話すのは、彼自身が高校生だった一九九五年の話だ。
 冴えない地味な少年だった秋久は、仲間と出会うことで徐々に変わっていく。様々な経験をし、たくさんの人間と出会い、自分の意思を、自我を固めていく。そして彼の成長が、渋谷の街を騒然とさせた一九九五年大晦日の「渋谷ファイヤー通り大騒動」に繋がっていく……。
 前作『イノセント・デイズ』は第六八回推理作家協会賞を受賞したように、一人の女性のあまりにもせつない人生を綴った、そして驚きに満ちたミステリであった。この作から著者の作品を読まれた方は驚くかもしれない。しかし著者の作品群の中では『イノセント・デイズ』の方が異質なのである。
 映画化もされた『ひゃくはち』で見せた胸のすくような展開、軽快なテンポ、巧妙な会話、それらが今作では高いレベルで発揮されている。前作があまりに暗い展開であったから、その反動もあったのかもしれないが、実に生き生きとした登場人物たちが、ところせましと暴れまくっている。
 二〇一五年と一九九五年を交互に繰り返し物語は進む。高校時代の仲間と出会う今の自分。そうしたシチュエーションが作用するからなのかもしれない。彼らの活躍が、彼らの悩みが、彼らの決意が、今やいい歳のおっさんとなってしまった自分の胸に響く。形は違えど、そう、そこにボクはいた。確かに少年だった自分がいた。
 「渋谷ファイヤー通り大騒動」をもって少年たちの物語は終焉を迎える。そして現在の、再び年を重ねた彼らによってむかえる大団円、そこには少年だった時と少しも変わらない彼らがいた。
 常識だの倫理だの世間体だので縛られたところで、人の本質はそうそう変わりはしない。
 読み終えた瞬間、記憶の底にいた少年が再び目の前に現れた。
 「なんだよ、結局あの頃となんにも変わってないじゃん!」
 あきれた顔をする少年に、苦笑いしながら答える。
 当たり前じゃないか、オレはお前なんだぜ?







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