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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻③
No.3228 ・ 2015年10月31日




■体育学校を目指すも選に漏れ一般隊員に

 「自衛隊に入るのではなく、自衛隊体育学校に入るのだ」というつもりで、井筒高雄は1988年3月、自衛隊の試験を受けて合格した。体力テストには自信があったが、筆記試験も中学で学ぶ程度の連立方程式と簡単な文章読解の出題で、勉強嫌いの井筒でもほぼ満点がとれたと思えるほど簡単だった。当時、自衛隊は定員割れが続いており、俗に「九九と漢字が書ければ大丈夫」といわれていた。
 無事合格した井筒は、これで望みどおり自衛隊体育学校に入れると思ったが、それは考えが甘かった。同校は、陸海空の共同機関で陸上自衛隊最大の基地・朝霞駐屯地にあって一科と二科にわかれている。
 一科は、井筒少年が憧れていたオリンピックなどの頂点を目指す部門で、隊員たちは「兵隊としての訓練」は免除されて、長距離、レスリング、重量挙げなど種目別のプログラムに沿って練習漬けの毎日を送ることができるが、受け入れを許されるのは大学などで高い実績をもつ隊員だけである。
 もう一方の二科は、主に高卒の「原石」をスポーツ人材に磨き上げる部門で、それを希望する隊員は、まずは前期・後期3か月ずつ合計半年間は一般の新米自衛隊員としての基礎研修を積み、普通科部隊で2か月勤務したあと、体育学校の「集合教育」に応募、そこでふるいにかけられる。つまり入隊してからの8か月は「試用期間」のようなもので、その間、井筒は、一般の新米隊員と同じ扱いを受けなければならなかったのである。その「試用期間」が始まるにあたって、当人にはまったくその自覚はなかったが、実は大事な儀式があった。「服務の宣誓」である。
 具体的には、次の文言で現在も片言隻句たりとも変わっていない。

 〈服務の宣誓〉
 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います

 これは雇用関係における「労働協約」「就業規則」にあたり、自衛隊と自衛隊員を成り立たせるいわば「存立基盤」といっていいものだが、ここで肝要なのは、「専守防衛に限って隊員は『命』を差し出す契約」という含意である。
 すなわちこの「服務の宣誓」を専守しないかぎり、自衛隊員は1ミリたりとも動けない。いや動いてはいけない。小銃の引き鉄も引いてはいけない。逆に引いてしまったら「犯罪」として裁かれることになるのである。
 今回の安保法制では、集団的自衛権行使を容認することで「専守防衛」を大きく踏み越えてしまった(つまり「憲法」に違反し「法令」の根拠が根本から変更された)のだから、これを前提にした「契約」も効力を失うことになる。実はこの「契約失効」は1993年のPKO協力法が成立したときにすでに発生、それが後に井筒の自衛隊依願退職につながるのだが、高校を卒業したばかりのマラソン少年にはそれを予知できる理解力はまだなかった。
 これについては後に詳しくふれることにし、ここでは重要な事項であることを指摘するに留めて先に進む。事の重要性を自覚できないまま、井筒は言われるがままに「服務の宣誓」に署名して指紋押印、さらに暗記できるまで復唱をして、18歳の春4月、朝霞駐屯地の第三十一普通科連隊に配属される。武器の取り扱い方や射撃訓練を受け、10キロもある重い背嚢を背に負い小銃を携えて河川敷を40キロも行軍するなど一通りの研修を終えると、一般部隊員として朝霞駐屯地で2か月勤務、いよいよ体育学校の集合教育を受けることになった。それは3か月にわたるもので、現役学生は朝5時には起床して15キロ~20キロ走。午前10時からは本練習をカリキュラムに沿って実施する。午後はフリー練習となり、各々が自分の弱い部分を強化したり、休養にあてたりと自己判断する。その間に指定された記録会を数回ほど行なう。ここで結果を出さなければならない。マラソンをめざし給料をいただく、いわばプロの練習は生半可なものではなかった。結果は井筒の願いと期待に反して、体育学校への入学はかなわなかった。
 「陸上は一般部隊の駅伝部とかで楽しんでやった方がいい」と引導を渡され、普通科へ戻されたのである。
 入隊早々に起きた人生の思わぬ蹉跌に、井筒は一瞬、陸上ができないなら自衛隊をやめようかとも思った。しかし、父親に相談すると「理由はどうあれ、いったんは自衛隊に入ると決めたのだから、任期の2年間はやり通せ、途中で投げ出すな」と慰留された。父は中学卒業後、住み込み奉公に出ているので、仕事については厳しかった。自分で決めたことは最後までやり通せと。一般部隊の駅伝部でまずは結果を残そうと踏みとどまり、一任期満了まではがんばろうと考え直して自衛隊にとどまることにした。
 「体育学校上がりというか下がりは体力があるがまったく使えない」というのがどうやら人事部門の評価のようで、井筒が回された先は糧食班。演習時には朝4時半ぐらいに起き、天ぷらはきつね色にあがってきたところですくうのだと教えてもらいながら、隊員たちの食事の用意。また実射の警備――思ってもみない裏方の任務だった。
 やがて井筒は我慢できず表舞台の戦闘任務替えを願い出て、原隊である重迫撃砲中隊の「射撃指揮班」に配置された。重迫撃砲とは「敵」の情報を得る班、それをもとに作戦を練り砲撃の指揮をする班、実際に大砲を撃つ班からなるが、井筒は射撃指揮班員として、「敵」の位置や人数や地形や風向きなどから、大砲の方向、火薬の充填量、作戦にあわせて弾頭を煙幕用にかえるなどを判断・指揮、決して得意ではない数学の二次関数で四苦八苦した。
 そんな任務を3年ほど続けるなかで、一般隊員の身分がいかに不安定な、いわば「非正規雇用」なのかを思い知るようになり、ある決断をする。それは泣く子も黙る死のレンジャー教育への挑戦であった。
(本文敬称略、つづく)







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