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評者◆稲賀繁美
ビーヴァーのダム――「境界を越えた知識伝播」をめぐる統合的接近法 ゲッティンゲンの会議から(1)
No.3228 ・ 2015年10月31日




■理研脳科学研究所の入來篤は、脳進化を説明するモデルとして、三重の壁龕構築Triadic niche constructionという仮説を提唱している。ニッチといえば生態系でも例えばビーヴァーが河川をせき止めて造るダムが知られる。「生存確保のための窪み」というべき巣だが、神経系のレヴェルでも、大脳皮質でniche状の回路が形成されることが判明してきた。手を伸ばして物体を捉える行為は、類人猿では目視による確認と同調する。その能力は成長の過程で獲得されてゆく。視覚と触覚との重ね合わせcouplingには、神経繊維が寄り添って形成される一種のダム、巣のような回路が関与しているらしい。さらにニューロン網でのニッチ形成は、認知行為の水準での「貯め」と密接な関係にある。生態と神経と認知とは、こうして三角形の相乗循環を形成する。ヒトの場合、そこに言語および道具使用の苗床が準備される。だが通常、類人猿のボノボですら対象を「指さす」機能は、学習不能なことが実験的に知られていた。この決定的な落差に、ヒトの脳の爆発的進化が孕む謎を解明する鍵が潜むはずだ。
 思弁を逞しくするならば、この三角形の相互作用回路が造る渦巻の「空なる中心」に、「心」の座を措定できまいか。なにもヒト以外の動物には「心」がない、といった定言命題ではない。問題はniche「渦巻」の強度如何。現象学者、河野哲也が提唱する「つむじ風としての自己」仮説との重ね合わせである。自我あるいは心を実体化し、脳のどこかの部所に同定しようとする欲望は、デカルトの松果腺仮説以来、西欧脳科学では、依然として根強い。だが「心」については、実体論よりも機能論が有効だろう。捉え所のない「心」以前に、「記憶」ひとつとっても、これは脳内のどこかに固定して貯蔵されるわけではあるまい。ダムというニッチが電子流量を制御する場。そこにこそ、生きた記憶が浮沈し、更新される仕組みが想定される。
 情報の流通を見ても、そもそもinformationとは何か、という定義や日常的な理解に不統一が残る。欧米では今なおプラトン主義的な形式(エイドス)と材質(ヒュレー)に沿った理解が暗黙の理論的前提をなしている。不変のイデアあるいは観念は、伝播によって否応なく劣化を遂げるが、変質は本来避けるべきとする価値観は、シャノンの情報理論のencode‐decodeの対にも残存する。西側世界の翻訳理論はこの原則を手放さない。確かに「手なづけ」
domesticationか「異化」foreignizationかといった粗暴な対立がヴェヌーティにより提唱され、本邦でも話題を呼んだ。だが評者の見るところ、その哲学的射程は著しく乏しく、実用性も皆無に等しい。もとより等価交換ではなく、付加価値や交換価値が生じるからこそ、情報は流通する。送り手と受け手との間では、同一の情報内容も、その意味作用は変貌する。さもなければ、翻訳は現物の二次的複製duplicationでしかなかったことになる。
 生物多様性を含め、diversityに関する昨今の議論は、およそこの局面を見落としている。多様性には、付随する価値基準として、異質さに対する許容限界acceptable heterogeneityの上限と、均質さに対する不寛容intolerable homogeneityの下限との対が想定できよう。その両者の隙間marginこそが、niche形成の生態学的許容範囲と重なるはずである。生存圏としてnicheをいかに確保するか。それは生存権の主張とも裏腹となって、現在中堅の建築家たちの主要な理論的・実践的関心事となって久しい。デンニッツァ・ガブラコヴァ『雑草の夢』も、近代日本の都市化の裏面に繁茂した海賊的なniche文化圏の言説研究だった。
〓〓つづく







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