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評者◆梁英聖
反ヘイトスピーチvs反レイシズム?――社会を破壊するレイシズムを規制する勇気を
No.3226 ・ 2015年10月17日




■二〇一三年にヘイトスピーチ(差別煽動表現)が大きな社会問題となってから二年半、表題のような対立が陰に陽に生じてきたように思われる。安倍政権でさえ「ヘイトスピーチ、許さない」と言える今日、反ヘイトスピーチという一点では誰もが一致できる。しかし「レイシズム(民族差別)、許さない」とまで言い切れる人はまだ少数だ。八月に戦後はじめて提案された反レイシズム法である人種差別撤廃推進法案がなかなか通らないことの基本的な社会的背景である。
 いったいなぜ反ヘイトスピーチはその大前提となるはずの反レイシズムに結びつかないのか。ここには戦後日本が許容してきた深刻なレイシズムの不可視化がある。問題を整理するためにも改めて次の問いを考えてみる価値がある。「ヘイトスピーチのどこがどう酷いのか」と。
 意外にこの問いは問われてこなかった。ヘイトスピーチが説明不要なほど酷すぎたからだ。しかしそれは従来のレイシズムとは連続性を持ちつつも明らかに画期的な酷さを持っていた。それが言語化できないなら何が問題なのかも見えないままに違いない。
 苦痛だが「言葉に出来ない酷さ」をあえて言語化してみると、ヘイトスピーチの酷さには正視に堪えないほどの反人間性・暴力・レイシズム・歴史否定(修正主義)が含まれる。問題は、前二つの酷さは日本の市民の誰にでも見えるのに対し、レイシズムと歴史否定の酷さが見える人がごくわずかだということだ。どれが見えるか、または重視するかで実践的立場も大きく変わるだけに、この問題は重要なのである。
 反人間性と名づけたのは、だらしなく嘲笑を浮かべながら「殺せ」などと「悪ノリ」で面白おかしく叫ぶのに象徴される、極端なまでの嗜虐性・侮蔑性・残酷さなどだ。勿論レイシズムは非人間性を含むが、問題はヘイトスピーチにはそれが極致となって現れていることだ。差別そのものの酷さと切り離せないが、しかし従来の差別の酷さとも次元を異にするというべき、人間として守るべき最低限度のルール・振る舞いに位置する自らの「人間性」さえ、レイシストらは自ら毀損している。要するにヘイトスピーチの極端なまでの気持ち悪さのことだが、これは固有の酷さとして数えるに値するだろう。
 第二の暴力というのは、「言葉の暴力」以前の物理的暴力のことだ。京都朝鮮学校襲撃事件などの実例が明らかにしている通り、ヘイトスピーチは実際にマイノリティや抗議行動参加者への暴行・傷害・業務妨害・殺人予告や脅迫といった犯罪から、暴言・侮辱などの「軽犯罪」に至るまで、刑事事件に相当する物理的暴力を伴っている。しかもそれらは組織的・計画的・集団的な暴力である。
 これら反人間性・暴力という誰にでも見える酷さを伴うからこそヘイトスピーチは圧倒的多数が「酷い」と思えた。
 しかし第三の、人種・民族的集団に対する社会がなくすべき不平等な区別という意味での、レイシズムそのものの酷さは、多くの市民に見えないままだ。ヘイトスピーチを丁寧に言い換えた「朝鮮人は半島へお帰りください」という差別発言をレイシズムだと思える人は少ない。
 第四の歴史否定もそうだ。「強制連行はなかった」「「慰安婦」は売春婦」などの妄言は、ホロコースト否定と同じ犯罪というべきであるが、そう思える人もわずかだ。日本政府が基本的な歴史的事実を教育する機会をつくらないばかりか、そもそも東京裁判はじめアジアへの侵略・植民地支配に伴う戦争犯罪について、社会的なジャッジメントが下されないままだからだ。
 つまり日本社会でヘイトスピーチが「酷い」社会問題だと認知されたのは、皮肉なことにレイシズムが発展を遂げ「それ以上」の酷さ――つまり反人間性・暴力――を伴うようになったからにほかならない。ヘイトスピーチを非難できている多くの人は、レイシズムは曖昧にしか「見えないまま」、それに付随する反人間性・暴力の酷さが「見えて」、それに反応したのである。
 このことを私は素直に喜べない。言い換えれば、戦後日本ではレイシズムは、その座視が自分の人間性を損なうと思わざるを得ないほど酷い反人間性と暴力を伴わなければ「見える」ようにならなかった、ということになるだろう。だから暴力や正視に堪えない反人間性を伴わないレイシズムについては依然として「見えないまま」ではないか。例えば朝鮮高校への高校無償化除外などが「これはレイシズムだ」と判断できる人はどれだけいるだろうか? まして「おかしい」と声を上げられる人は?――
 反レイシズムを避けて通る反ヘイトスピーチは問題を解決することができまい。なぜなら、ヘイトスピーチとはレイシズムが戦後日本社会で放置された結果、その発展を抑えられず、ついに差別を超えて暴力の段階にまで至ったレイシズムだからだ。「ヘイトスピーチが社会を壊す」という警句はより正確に「レイシズムが社会を壊す」に言い直されねばなるまい。ヘイトスピーチ頻発はレイシズムが既に日本社会を深く破壊し腐敗させた結果生じたいわば「腐臭」に過ぎない。
 右の警句はナチスのホロコースト以後、第三世界の反植民地主義に、国際社会がつかんだ教訓だった。だからこそ国内でレイシズムを撲滅することが人種差別撤廃条約の義務となった。しかし日本は関東大震災時の朝鮮人虐殺のようなヘイトスピーチが虐殺に帰結した世界史に記録されるべき経験をもつにもかかわらず、レイシズムの可視化にさえ失敗し続けている。
 社会を破壊するレイシズムをこれ以上放置すべきでない。そのためには差別と区別に一線を引く、判断を下す勇気が必要だ。反ヘイトスピーチを反レイシズムに結び付けられるかどうかが、問われている。
(反レイシズム情報センター〔ARIC〕代表)







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