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評者◆百木漠
ヘイトスピーチを増幅させるもの――「左翼的なもの」への憎悪について
No.3224 ・ 2015年09月26日




■「ネット右翼」を自称する大学院の先輩からこんな話を聞いたことがある。
 「ネット右翼にとっての一番の敵は、実は中国や韓国じゃなくて、中国や韓国に味方したり告げ口したりしようとする日本の左翼のほうだからね」と。
 初めてこの発言を聞いたとき、なるほどそういうものか、と思って妙に納得してしまった記憶がある。つまり、彼らが敵視しているのは、実は中国や韓国(の人々)そのものであるというよりも、「中国」や「韓国」に名を借りた「左翼的なもの」のほうなのではないか。
 もちろんこの先輩の発言によって「ネット右翼」全体の考えを代表させることはできないだろう。「ネット右翼」のうちにも様々な思想の持ち主がおり、一概にその傾向をまとめることはできないからだ。しかし上記の発言が「ネット右翼」と称される人々のひとつの典型的な思考パターンを示していることはおそらく確かである。
 また、現実に行なわれているヘイトスピーチの実態に目を向ければ、そこには本気で在日の人々に対して憎悪を抱いているとしか思えない非人道的な言動があふれていることは言うまでもない。すでにこのリレーエッセイの中でくり返し論じられてきたとおり、そのようなヘイトスピーチがいかなる意味でも許し難いものであり、強く非難されるべきものであることはまず初めに確認しておかねばならない。
 あくまでそのことを前提にしたうえで、筆者がここで論じてみたいのは、ヘイトスピーチを増幅させる「左翼的なものへの敵視」のムードについてである。
 近年のインターネット上では、多少なりとも「左寄り」な発言を行った者に対して、「ネット右翼」の側から「在日」や「反日」のレッテル貼りがなされることが恒常化している。ヘイトスピーチへの批判のみならず、安倍政権に対する批判や、ネット右翼的な言説に異を唱える者にはすべて「在日」あるいは「反日」の認定がなされるという、極度に硬直化した思考がなされているのである。
 こうしたレッテル貼りが、何よりも在日の人々に対しても失礼極まりないものであることは言うまでもないが、ここで重要なのは、その人が実際に在日であるかどうかにかかわりなく、「在日」という言葉がネット右翼たちによる侮辱を意味する記号として用いられているという事実である。つまり、ヘイトスピーチを行う者やネット右翼たちの間では、「在日」という言葉がその実体から乖離して、彼らにとって気に食わない発言・主張を行う者はすべて「在日」であるという判定が自動的になされるという構造が存在しているのだ。
 こうして昨今のヘイトスピーチを支えているのは、在日の人々への直接的な憎悪であると同時に、より広範な「左翼的なもの」に対する敵意でもある。この両者が混ざりあうことによって、互いの憎悪がさらに増殖・拡散され、もはや現実の在日の人々に対する批判・非難としてほとんど実体をなさないところにまで、「在日」バッシングが膨れ上がってしまうという構造が形成されているのである(そもそも、在日の人々への直接的な憎悪じたいが実体に基づかないものであることについては、野間易通『在日特権の虚構 増補版』河出書房新社、2015年、を参照のこと)。
 ここで筆者が「左翼的なもの」と呼んでいるのは、例えば「民主党」や「朝日新聞」や「岩波知識人」などの記号によって象徴される左派的な(あるいはリベラルな)思想・言説のことである。そうした思想・言説への敵視は、近年のネット上における(あるいはネット上に限らない世論全般における)「民主党」や「朝日新聞」へのバッシングの状況を見れば、一目瞭然であろう。ネット右翼的言説においては、「民主党」や「朝日新聞」は「在日」や「反日」と並ぶ侮辱語のひとつである。
 ここで興味深いのは、伝統的な「左翼」の代表である共産党やしんぶん赤旗ではなく、むしろ中道左派寄りの民主党や朝日新聞こそが最も敵視されているという事実である。つまり、ネット右翼が「サヨク」として敵視している対象にもまた、本来的な「左翼」の実体からの乖離が存在しているのだ。言うなれば、彼らが憎悪(ヘイト)しているのはより広範な「リベラル」の思想であり、さらには「戦後日本の民主主義体制」そのものである。近年、「反知性主義」と呼ばれているのも、おそらくこれに類似した事態であろう。ある意味では、在日の人々はそうした「左翼的なもの」への憎悪の巻き添えを食っているのだ。
 このような「憎悪」の歪んだ構造は、間違いなく戦後日本の特異な言説空間に由来するものである。日本のヘイトスピーチ問題が、西洋的なレイシズム(人種差別)の観点だけからでは解けない理由はそこにある。戦後長らく左派(リベラル)寄りに展開してきた日本の言説空間は、90年代後半以降、急激に右派(保守)寄りの状況へと反転しつつある。ヘイトスピーチの顕在化も、このような言説空間の転換とともに生じてきた問題のひとつなのだ。こうした言説空間の反転がいかにして生じてきたのか、昨今の日本を取り巻く「左翼的なもの」への憎悪がどこから生じているのか、そのような憎悪を鎮め無効化させるためには何が必要とされているのか、という問いへの考察をめぐらせるところにこそ、ヘイトスピーチ撲滅への鍵が隠されているはずである。
(日本学術振興会特別研究員PD、社会思想史)







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