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評者◆清原悠
日本国憲法の平和主義が公的なレイシズムの解消へつながる道である――戦後補償問題の中のレイシズム(下)
No.3222 ・ 2015年09月12日




■アジア・太平洋戦争の敗戦後、戦争責任・植民地支配責任を問われるようになったのが日本の「戦後史」の一側面である。だが、実際にこれがどのような問題なのかを正確に把握している人は殆どいないのではないだろうか。たとえば、1941年12月8日の太平洋戦争開始後、日本が宣戦布告を行なった相手国の数は34か国にもなる。世界各地で多くの戦争被害を引き起こした結果、他国家への賠償が戦後必要になった。公式に賠償協定を結んで支払った国は、フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムの四カ国である。また、犠牲になった「個人」に対しての加害責任、そしてそれ以前からの朝鮮半島や台湾などへの植民地支配への責任といった「被害補償」を求める裁判は、2012年時点で90件に及ぶ(内海愛子『戦後補償から考える日本とアジア』山川出版社)。しかし、これらのことを多少なりとも答えられる人は日本で何人いるだろうか。私自身も、本稿を準備する過程で知ったことがほとんどである。
 以上の問題の中でも本稿が注目したいのは、この「被害補償」は単に海外の人への補償だけでなく、国内に住む人々への「被害補償」にも関連しているという点、そしてそこには「レイシズム」の問題が含まれているという点である。前者に関しては、空襲被害や原爆投下にともなう死傷者は100万人以上とも言われ、また植民地出身の人々が広島・長崎の原爆投下で受けた被害者数は7万人とも言われているが、いずれも政府が「戦争」(もしくは植民地支配)を始めることがなければ生じなかった被害である。当然のことながら、戦後になって政府の責任が問われるようになった。
 しかしながら、このなかで明確に国家の「責任」を認め、「補償」が裁判で命じられたのは、前回に紹介した「原爆医療法」の在韓被爆者への適用の可否を問う孫振斗手帳裁判である(1972年提訴、1978年最高裁判決で訴えの認容)。この裁判だけが例外的に勝てたのは、原爆二法(57年、68年)だけは国籍条項がなかったからであった。その他の戦後補償裁判では、「国籍条項」や大日本帝国憲法での国家無答責(国家は悪をなさないという考え)、あるいは戦争という非常事態で生じた国民の被害への補償を日本国憲法は想定していないという「戦争損害〔補償不要〕論」により、ほとんどの訴えが棄却されたのである。政府は旧軍人やその遺族たちには恩給的に「補償」を行ったが、そこでは国籍条項によって旧植民地出身者を除外し、サンフランシスコ条約ほか二国間条約などで多くのアジア諸国も排除した。敗戦後、GHQは国籍差別禁止の指令を出していたが、GHQの占領が終わった1952年4月28日以降につくられる制度には次々と国籍条項が再登場した。戦争犠牲者援護に関わる法律は13あるが、いずれにも「国籍条項」が設けられている。
 だが、自国民への甚大な被害とされた原爆だけは、被爆者たちの運動と世論の盛り上がりにより、日本政府も何らかの形で補償をせざるをえなくなった。原爆への補償をめぐって政府が一番危惧したのは、原爆の問題が他の空襲をふくめた一般の戦争被害への補償問題に波及することであった。そこで政府が考えたのが、原爆被害は医療の問題、すなわち公衆衛生に関わるものとして扱うということであり、したがって「戦後補償」ではないという理屈であった。公衆衛生は、伝染病の問題がそうであるように、一部でも被病者がいれば社会全体が危機にさらされる。そのため対象者を国籍条項で選別することは公衆衛生の理念と実務にふさわしくない。だから、原爆二法には国籍条項が設けられなかったのである(田中宏『戦後60年を考える』創史社、を参照)。このように原爆医療は厚生省公衆衛生局の担当となったが、その他の軍人恩給や引揚者への対応などは厚生省引揚援護局の管轄となった(なお、政府と関わりのあった戦死者の靖国神社合祀に関わったのはこの部局で、旧日本軍関係者が多く所属していた)。
 以上に見てきたように、できるだけ戦後補償をしないように様々な操作をした結果、国籍条項のない原爆二法が出来上がったのだが、皮肉なことに、それが在韓被爆者への「戦後補償」が裁判で認められた勝因だったのである。ここに見られるのは、徹底的に「責任」(その証としての補償)を認めないこと、仮に認めるにしても、補償問題が全体として大きくならないように、様々な区分を設けて対象者を制度の外へ放逐しようとする志向である。真っ先に排除されたのは国内のマイノリティであり、他の国の人々である。典型的な上からの(=公的な)レイシズムと言ってよい。だが、実際にはアジアの4カ国には公式に賠償協定を結んでいたことから分かるように、国内の理屈(法理)である「国家無答責」あるいは「戦争損害論」を多国間にまたがる問題にそのまま適用するには無理があったと言えるし、国籍条項によって内外人を区別して処遇すること(=差別)は、日本が批准しているはずの国際人権諸条約に違反している。同じ問題は、近年のヘイトスピーチの問題や朝鮮学校に関する事柄でも繰り返されていると言える。
 憲法学者の永田秀樹は戦争損害論が持ち出された12の判例を批判的に検討したうえで、「戦争損害論」が判例ごとに恣意的に持ち出されていて一貫性がなく、根拠薄弱であることを示している。そもそもアジア・太平洋戦争の反省の上に立って制定された日本国憲法が戦争犠牲について「まったく予想していない」などという態度をとっているはずがなく、戦争防止策として将来にむかっての立法政策や加害者の処罰、犠牲者への補償は憲法の平和主義を定着させるために期待されているはずだと永田は指摘している(永田秀樹「『戦争損害論』と日本国憲法」『現代社会における国家と法』2007年)。つまり、日本国憲法の平和主義の理念を積極的に「取り戻す」ことが、公的なレイシズムの解消へつながるのだ。
 最後に、もう一つ重要な点を述べておきたい。それは、ここまで紹介してきた戦後補償問題が全くと言ってよいほど日本国民には知らされていないということだろう。もちろん、知ろうとする努力がこれまで足りなかったとも言えるが、誤解を恐れずに言えば、それを恥じるかどうかはさしあたって重要な問題ではないと私は思う。知らないことに対して開き直ったり、否定してみせたりすることこそが恥ずかしいことではないだろうか。
(社会学)







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