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評者◆秋竜山
うわさ話はやめられない、の巻
No.3222 ・ 2015年09月12日




■「うわさの女」と歌う歌謡曲が流行したものだった。当時、よく口ずさんだ。歌になるくらいだから、ほっとけないような女だったんだろう。松田美佐『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書、本体八四〇円)では、〈人と人との日常的な会話、すなわち「おしゃべり」を通じてうわさは伝わっていく〉。「ホラ、あの女だが……」という、うわさとなると悪いうわさだろう。悪ければ悪いほど、文学的でいいものだ。他人の悪口ほど面白いものはないのだから、その女のうわさも面白いだろう。
 〈人との関係を築く上で、うわさは役に立ってきたのである。〉(本書より)
 と、それほどにうわさ話はやめらめない。
 〈うわさには「ここだけの話だけれど」という枕詞がしばしばつく。本当に「ここだけの話」ではない。実はその話をみんな知っていたという経験を持つ人は少なくないはずである。「ここだけの話」という枕詞は、「他人は知らないことを知っている」という優越感の表明であり、「その話をあなたにだけ教える」と仲間意識を強めるために使われる。「二人が“ここだけの話”をたったいま共有した」という新たな秘密から親密性も生まれる秘密の話の共有は人との“つながり”=関係性を強めてくれるのである。〉(本書より)
 大体において、うわさ話は、あまり大きな声では話せないだろう。声のトーンをおとして、「大きな声ではいえないけど、ね」なんて、ひそめた声でいう。声が小さくなれば、なっただけその分、話に秘密性がうまれるものだ。ないしょ話である。ないしょ話といえば、昔のことを想い出してしまった。小学一年生の運動会に一年生全員で踊った。ないしょ、ないしょ、ないしょの話はあのねのね。ニコニコニッコリねぇ母さん、お耳にこっそりあのねのね、ボーヤのお願い聞いてよね。と、いう歌だった。このような時代が私にもあったのだ。踊る相手の耳元へ口をつけて、ないしょないしょ……と、ふりをつけて踊った。ないしょ話の踊りであった。また、別のことを想い出してしまった。以前、ないしょ話というタイトルのマンガを描いたことがあった。無人島マンガである。二人っきりの無人島で漂着者が耳に口をあてて小声で喋っているという内容のものであった。これと同じような場面も設定できるだろう。砂ばくの真ン中で二人っきり。そこで同じようにないしょ話をしている。描いた当時は、それでよかったかもしれないが、今このようなマンガをよしとすることができるか。どこかわからない場所にかくしカメラがすえ付けられていたり、盗聴器がこっそり置かれてあったりするかもしれない。昔、笑えたことも今は笑えないということだ。それとは別に、ないしょ話というものは聞いた後、別の人にすぐ話したくなるものである。無人島で二人以外に別の人がいるだろうか。砂ばくの真ン中にだっていえることだ。なにも小声で話す必要はない。むしろ大声で叫ぶように話せばよいだろう。そんな話って秘密になるだろうか。親密性なんて生まれるだろうか。やってみなければわからないだろう。







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