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評者◆成川真(ブックポート203)
小説でしかなしえない芸術
聖母  ※9月18日発売予定
秋吉理香子
No.3222 ・ 2015年09月12日




■小説という分野において、推理小説というのは非常に特化したジャンルである。
 犯人当てやトリックを見抜くことなどが主眼で、ほぼその巧緻さによってのみ作品の良し悪しが判断されるという、非常に偏執的な性質を持っている。もちろん心理描写や展開、総合的な文章力も評価の対象にならないわけではないが、その比重は一般の小説よりも格段に低くなる。
 中でも“本格”といわれる推理小説にいたっては、読み物というより作者と読者の戦いであり、「騙してやろう」「騙されてなるものか」という両者の思いが本を通して激突する。欧米で「パズラー」と呼ばれることからわかるように、主眼がそれであって、一文一句にヒントを探す読み方になってしまうため、時に読んでいる合間にふと我に返り、この読み方は不純ではないか、と思うことさえある。無論、小説を読む目的など人それぞれなのだが……。
 こうした読み方をしていて最高に気分のよい読後感を得るのは、灰色の脳細胞をフル活用し、作者の巡らせた伏線やミスリードを読み切り、トリックのすべてを看破した時……ではない。完全に作者の掌で踊らされ、思いがけない方向から真実を突きつけられた時、すなわち作者との戦いに完敗した時である。
 『聖母』(双葉社)はまさにそのような作品だった。
 東京郊外に住む主婦、保奈美は近隣で起きた幼稚園児殺害のニュースを見て戦慄した。長くつらい不妊治療の末にようやく授かった大切な一人娘の身に危機が及ぶのではないかと案じ、大切な娘を守るために自ら行動を起こしていく……。
 この保奈美以外に、剣道部に所属し、ちびっこ剣道クラブでボランティアをする高校生の真琴、そして変わり者の女性刑事・谷崎と年配の男性刑事・坂口コンビの捜査という、三つの視点で物語は進んでいく。
 幼稚園児を殺害した犯人が誰か、というのは主軸ではなく、実は早い段階でわかってしまう。ところが、その犯人すら困惑するような事態が起こり、すべてが理解不能のまま、真実が濃い霧によって隠されて見えなくなってしまう。
 陰惨な事件の中に芽生えるいくつかの不条理、違和感がざらりとした異質な雰囲気を作り出している。さらに視点を変えることによって、警察小説としての側面と犯罪小説の側面が融合されている。場面や人物などで視点を変えて引きつける展開はむしろTV的で、ロヨラ・メリマウント大学院で、映画・TV製作博士号を取得した作者・秋吉理香子の“読者を飽きさせない”という意図が強く感じられる。
 『雪の花』でヤフー・ジャパン文学賞を受賞してデビューした作者は、四年を経て『暗黒女子』という衝撃作を放った。続く『放課後に死者は戻る』で一作目が偶然の産物ではないことを証明したが、さらにこの『聖母』によって、完全にその実力を示したといえるだろう。
 ヴァン・ダインの二十則やノックスの十戒などによって長い間示されてきたように、推理小説を書く上ではフェアであることが最低限の条件とされている。時にはそれを逆手にとった作品も書かれてきたが、基本的にはその範囲の中で、いかに斬新な手法を見出すかに無数の推理作家が挑戦してきた。
 そういう意味では、この作品は、そのラインギリギリどころか、ライン上を不安定に綱渡りしている作品といえなくもない。俯瞰で見た場合、違う意味でハラハラしてしまう要素を持っているのだが、作者としても相当な挑戦だったことが窺える。
 人の感性に訴え心を動かすものを芸術と呼ぶのなら、文学はまさしく芸術であろうし、感嘆すら覚えるほど見事なトリックを生み出した推理小説もまた、芸術と呼んでさしさわりないだろう。
 だとすればこの『聖母』もまた、芸術作品と呼んでいいのではないだろうかと思う。







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