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評者◆石黒健治
メカは表現を変えるか?――決定的瞬間その1 過去を撮る
No.3221 ・ 2015年09月05日




■カメラは強打のバッターを捉えている。投手は豪速球の持ち主だ。この1投1打で優勝が決まる。
 ピッチャーが投げる、バッターはバットを振る。シャッターを切る! 決定的瞬間である。
 ボールは、バットに当たってはじかれる。あるいは、バットをかすめて捕手のミットに入っていく。いずれにしろ、ボールとバットが画面に写っていなければ、カメラマンはアウトだ。
 トンボが枝に止まっている。カメラは、フレームの中に適度の大きさで捉えている。静止しているところは誰でも撮れる。問題はふわっと枝を離れる飛翔の瞬間だ。これが難しいのは、いつ飛ぶか、トンボの気持ちがわからないからだ。息を殺して待って首が痛くなったころ、トンボが始動する。あっ、とシャッターボタンを押す。残念。一瞬おそかった。写真には震える枝と空気しか写っていない。空振りである。
 こころみに町のグラウンドで少年野球を撮ってみればわかる。バットやボールやトンボが写っていたら、それはプロ中のプロ、選手のくせやトンボの習性を知り尽くし、経験と動物的勘と鋭敏な運動神経の持ち主、たとえばトンボの写真で有名な田中博氏のようなカメラマンに限られる。筆者のような普通のカメラマンは決まって三振だ。
 ほんの一瞬でも、過ぎ去った〈時〉は、過去だ。取り戻せるはずがない。後悔はただ一点、0.5秒でも早くシャッターボタンを押すことができたら!
 ここにシャッター以前の、過去を撮るカメラがある。オリンパスOM‐D E‐M1 MarkⅡとニコン1 J5である(ほかにコンパクトカメラだが、リコーにもある)。
 オリンパス機の場合、シャッター以前を、最大1.4秒、14コマを記録する。ニコン1 J5は、最大1秒、シャッターを押したときの1コマを加えて20コマである。
 これではゆるい、決定的瞬間を逃がさないためにもっと小刻みに撮りたいと思えば、オリンパス機は0.47秒14コマ、ニコン機は1/3秒20コマにセットすることも出来る。
 この神がかりの操作に熟練はいらない。両機とも、シャッターボタンの上に指を乗せ、半押しの状態にしておけば、カメラはいつまでも忠実に被写体を見続け、記憶し続ける。そして、全押しと同時に記憶をメディアに保存する、それだけのことらしい。
 オリンパスはこの機能を「プロキャプチャー」と呼び、ニコンは「ベストモーメントキャプチャー」と名付けている。
 疑問があった。こんないかにもポピュラーな魅力の機能を、一般のカメラが採用しない理由は何か? すでに17年前に一度オリンパス機で採用されたというから、これが最新特殊テクノロジーではないことも確かなのだ。
 答えはシンプルだった。ミラーのある1眼カメラは、ミラーが邪魔をして記憶の蓄積が出来ないことのようだ。ミラーレスカメラだけの得意技らしい。
 とすると、オリンピックの報道席に並ぶカメラの放列は、2020年東京で様変わりをするかも知れない。カメラ・メカと伝達システムは、いつも華やかなオリンピック報道の舞台で革新ぶりをアピールしてきたからだ。例えば、1984年ロサンゼルスではキャノンのスチルビデオカメラの登場でフイルム時代の終わりを予告した。カメラマン席が完全にデジタル化したのは2000年のシドニーだった。
 さて、われわれはプロの必殺技を軽々と手に入れた。
 スポーツで一番早いのはボクシングのパンチだそうだ。グローブが相手のアゴに食い込む瞬間は、リングサイドで狙っているプロでも難しいらしい。
 もっと早いのは、人の表情の微妙な変化だ。特に女性のあどけない頬笑みとイノセントなまな差しが、ふと、孤独で、懐疑的な妖しさにはためくあの変化は、一瞬の何万分の1だろうか?
(写真家)







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