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評者◆梁英聖
朝鮮学校への「ヘイトスピーチ被害」は見えるようになったのか――トータルなレイシズム被害を可視化するために
No.3220 ・ 2015年08月29日




■ヘイトスピーチ(差別煽動表現)が二〇一三年から大きな社会的注目を浴びて、もう二年半がたつ。戦後七〇年の間、ずっとないことにされてきた在日コリアンへのレイシズム(民族差別)を、日本社会がもはや無視できなくなった二年半だったと思っている。人種差別撤廃推進法案という戦後初の反レイシズム法案が審議され、政府もヘイトスピーチ実態調査を行うと明言した。「なぜもっと早く」という苦い思いが付きまとうものの、この機を反レイシズム政策成立に結び付けねばなるまい。
 だがそれは容易ではない。最大のハードルの一つは、立法が必要なほど「深刻な差別はない」という政府の姿勢だろう。
 だからこそ、レイシズム被害の可視化が絶対に必要なのである。そこで大事なのは、「ヘイトスピーチの被害」がその一部に過ぎないということだ。
 そのことを最もよく教えてくれる事例が、二〇〇九年一二月に起きた京都朝鮮学校襲撃事件(以下、京都事件)だ。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と「主権回復を目指す会」の構成員ら一一名が京都朝鮮第一初級学校を襲い、およそ一時間にわたり大音量のマイクで「ここは北朝鮮のスパイ養成機関」「こいつら密入国の子孫」等の暴言を浴びせ続けた。その被害は、当時の生徒が作業員姿の人間を見ただけで「在特会が来た」と取り乱したり、廃品回収や選挙カーの拡声器に脅える等、極めて深刻である。一年前(本紙三一七三号)にも書いたが、京都事件は学校が民事裁判に訴え、襲撃が人種差別撤廃条約にいう人種差別であると認定、一二二六万円の高額賠償金を命じ、「本件学校の教育環境が損なわれただけでなく、我が国で在日朝鮮人の民族教育を行う社会環境も損なわれた」と明記された画期的判決が昨年七月、最高裁で確定している。
 ヘイトスピーチは被害者に「芯からの恐怖と動悸、呼吸困難、悪夢、PTSD、過度の精神緊張(高血圧)、精神疾患、自死に至る精神的な症状と感情的な苦痛」(マリ・マツダ)をもたらすと言われる。京都事件の被害が極めて深刻であることは言うまでもない。
 しかし問題は、京都事件の被害が間違いなく「ヘイトスピーチ被害」の枠を超えていることだ。中村一成氏のルポ・批評はむしろそのことをよく教えてくれるように思う(以下、『ヘイト・スピーチの法的研究』より)。私なりに整理すると、事件被害は「ヘイトスピーチ被害」のはるか手前の段階で深刻な物理的暴力とレイシズム被害に遭っている。
 第一に、京都事件はヘイトスピーチ以前に単なる暴力だった。授業をしている小学校に集団で押しかけて大音量で脅迫を行う。そして学校の備品であるスピーカーを破壊する器物損壊を行った。この時点で「差別」であるかどうか以前に、刑事事件になる暴力である。しかし、京都事件は警察が駆け付けた後も現行犯で暴力が許容された。のみならず、犯罪が二・三回目も「街宣」という形で許容された。さらに被害者が告訴しても警察が受理しようとせず、八か月も放置した上で、被害者が強く望んだ名誉棄損を無視して侮辱罪での告訴となった。ここには事件が差別であるということとは別次元で、単なる刑事事件であっても朝鮮人が被害者であれば放置するという次元でのレイシズム(単なる法の不平等な適用)がある。既にこの次元で国は猛烈に批判されてよかった。
 第二に、事件は朝鮮学校への政府・自治体によるレイシズムの上に起きている。事件の「口実」とされたのは、グラウンドのない学校が近隣の公園を、市と住民の合意を得て授業で使用してきたことだった。基本的な話で恐縮だが、ここには朝鮮学校が日本の公的な教育体系から排除され、レイシズム被害を受け続けているという事実がある。公園使用は国と自治体によるレイシズムの産物であろう。だからこそ在特会は安心して公園使用を「在日特権」であるとレッテル貼りを行い、白昼公然と犯行に及べたのである。
 中村氏によると、高速道路の延伸工事のために、大型車の行き交う状況への安全確認に教員が多大な労働を割いていた。京都事件以後、襲撃への警備労働が加わったが、それらが教員の過労を激化させた。教員の多忙は授業に支障をきたした。公園が使えなくなった生徒は体育の授業を十分に受けられず、後々まで体力測定で他校との差が開いた。教育保障から排除されている朝鮮学校の運営を成り立たせるために、保護者や地域の在日による無償労働(ボランティア)は日ごろから欠かせないものとなっている。事件への警備に保護者たちも参加を余儀なくされ、トリプルワークをしていたある保護者は一つ仕事を辞めた。
 ナイーブな発想だと思わないで頂きたいのだが、もしも朝鮮学校が公的教育保障を受けていたらどうなっていただろうか。当然、警備員や臨時の教員を増やすことができる。グラウンドも確保できる。右に書いた被害は生じなかったか、あるいはまったく別の形をとっていただろう。
 この二つのレベルでの被害が見えなければ、「ヘイトスピーチ被害」の意味もよく理解できないに違いない。被害者にとってつらかったのは、「ここは学校やない」というヘイトスピーチだったという。この発言は、レイシズムによって民族教育権を否定し続けている日本政府の思想そのものと言ってよい。「「権利」っていったい何よ? そもそも私らにここにいる権利なんてないんじゃないの?」。京都事件直後、ある保護者の言葉である。戦後七〇年経った今もなお、法律レベルで公認された権利がほぼないまま、レイシズム状況に自分たちが置かれていること。このことを痛烈に自覚し続けてきたからこそ、在日コリアンの「ヘイトスピーチ被害」はそれだけ深刻なものになるのではなかろうか。
 政府がヘイトスピーチの実態調査を行うと明言した。だがその被害はあくまでトータルなレイシズム被害の実態を調べなければ見えない。それに残念ながら、政府による調査はそれを十分反映しない可能性が高い。だからこそ、レイシズム実態が深刻であるということを市民の側から常に提示し続け、それを可視化させる取り組みが重要な意味を持つのである。
(反レイシズム情報センター〈ARIC〉代表)







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