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評者◆大矢靖之(紀伊國屋書店新宿本店)
プラトンの決定的入門書
プラトンとの哲学――対話篇をよむ
納富信留
No.3219 ・ 2015年08月15日




■著者はかつて国際プラトン学会会長を務め、世界でも名が知られる研究者である。これまでも、『プラトン 哲学者とは何か』(NHK出版、2002)、『哲学者の誕生』(ちくま新書、2005)など、多くの入門書を著してきた。だが、そこに新たな決定的一冊が付け加わることになったのだ。
 今回世に出た『プラトンとの哲学』という書名には、納富氏のプラトン哲学へのスタンスと解釈が色濃く出ているに違いない。プラトン「との」哲学という言い回しが意味するのは、納富氏によるプラトンへの対話的なアプローチである。プラトン対話篇の多くは、ソクラテスが生前の姿で対話を導くように記されており、著者であるはずのプラトンはその場にいない。ソクラテスが人々とかわす言論、あるいは探求の過程が書き記されたテクストだけが残される。そのテクストを読む中で、私達は自問し、考察を促される。著者によれば、そこで私達と不在の著者プラトンとの対話、つまり哲学が、始まることになるのだ。ただし納富氏は、プラトンの言葉を鵜呑みにしないよう読者に注意を促しもする――プラトン『第七書簡』を引きながら。読者はプラトンとの批判的対話によってこそ、共に哲学に与ることができる。対話篇を読むこととは、現代の視点からあれこれ解釈を提示することではなく、対話の現場から私達自身が哲学を立ち上げることに他ならないのだ、と語られるのだ(pp.12‐17)。
 ここで納富氏は解釈提示について否定的に語りつつも、プラトンが何故対話篇という形で自らの哲学を記したかという解釈上の問題点に対し、自説を軽やかに主張しているようにも思われる。各々の問題点への解釈を一見してミニマムに、けれど確かに下している箇所は、ここだけにとどまらない。例えば『ポリテイア』(『国家』)第9巻、理想のポリテイアが天空に存在することについて、それが存在する以上は私達の魂、つまり内なるポリテイアも可能であるという納富氏の主張(pp.171‐172)。この『ポリテイア』の箇所については、理想国家は天上にあるもので地上にそれを持ち込んではならないとする解釈もあり、これが暗に退けられていることになる。また、プラトン本人が書いたかどうか真偽問題が取りざたされる『第七書簡』についても、納富氏は真作と考えた上で、その内容をもとにプラトンの人生を伝記的に描く(pp.102‐119,240)。さらには本書の至る所で、『第七書簡』を主張の論拠ともしているのだ。
 こうした様々な解釈は、これまで納富氏が記してきた論文や著書で論究されてきた内容の要約でもある。巻末の参考文献で自らの書籍をふんだんに紹介していることからも分かるように、本書はプラトンの決定的入門書であると同時に、納富氏がこれまで重ねてきた研究の総決算的内容とも言えるだろう。『プラトンとの哲学』は、納富氏によるプラトンとの対話、読者との対話でもあるのだが、これを読む古代哲学研究者とその卵たちにとっては、おそらく納富氏との批判的対話を余儀なくされることになる一冊でもあろうと想像する。
 かつて田中美知太郎や藤沢令夫ら日本を代表する古代哲学研究者達が著してきた岩波新書の入門書の数々。納富氏の著書によって、岩波新書ラインナップの厚みと豊かさがまた一段と増したことになる。評者は記念碑的業績に感嘆しつつ、本書を何度も何度も読み返すことになった。かつて自らが大学院で近現代哲学を研究していた時の記憶を、鮮やかに蘇らせてくれる一冊であったように思う。







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