書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆清原悠
「国民の戦争被害受忍論」と闘った在韓被爆者への支援運動――戦後補償問題の中のレイシズム(上)
No.3218 ・ 2015年08月08日




■アジア・太平洋戦争終結から70周年を迎える今年に、集団的自衛権を認める違憲法案が衆議院を通過した。そのような状況の中で今、多くの人に知られるべきは35年前に政府筋から出されたある見解であろう。
 1980年、厚生大臣の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(以下、基本懇)は、次のような答申を出した。それは、戦争という「非常事態」のもとでは、国民の生命、身体、財産に生じる犠牲は「国民が等しく受忍しなければならない」という答申である。分かりやすく言うと、戦争時に発生した国民の被害を国は一切補償しません、責任は負いませんよ、という意味である(たとえ、自国政府が起こした戦争であっても国民は政府を責任追及できない)。いわゆる「戦争被害受忍論」であるが、現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」はこの答申を理論的根拠にして策定されている(直野章子『被ばくと補償――広島、長崎、そして福島』平凡社新書)。ここで注意すべきは、この答申が「過去の原爆被害」についてのみ述べたものではなく、「受忍しなければならない」と現在形で書かれていることから分かる通り、現在あるいは今後生じるかもしれない戦争被害も射程に含めた論理である点だ。「戦争法案」が成立するかもしれない今、私たちが心して受け止めるべき問題である。
 その上で今日紹介したいのは、この「戦争被害受忍論」およびそこに含まれる「国民」の定義の恣意性(政府にとって都合のよい解釈)に対して、日韓の市民が連帯して闘った社会運動の歴史である。具体的には、旧植民地出身者が広島・長崎で原爆による被害を受け、出身国へ帰国した後にその治療および被害補償、生活保障を政府に求めた「韓国原爆被害者」の運動であり、それを日韓の市民が連帯して支援した運動の歴史である。旧植民地と宗主国の関係にあった日韓の間には、植民地支配に伴う様々な問題(日本軍「慰安婦」問題、強制労働など)が存在し、その補償を求める沢山の運動が展開されてきたが、この「韓国原爆被害者」への補償を求める日韓の連帯運動は最も長い歴史(約50年)を有している。この運動を研究した辛亨根によれば、この問題は植民地責任に関する様々な問題群の中で一番改善が進んだものであり、かつ日韓の市民の草の根の協力がそこに決定的な役割を果たしたという(広島大学大学院博士論文、2014年)。しかし、皮肉なことにこの運動は日本国民には最も看過されてきた運動なのだ。
 では、そもそも韓国人被爆者とは全体でどのくらいいたのであろうか。いくつかの推算がありバラつきがあるものの、韓国原爆被害者協会および『広島原爆戦災史』(広島市)などの算定値が合致するところで、広島・長崎で約7万人の被爆韓国人がいたと考えられている(全被爆者の10%程度)。このうち4万人が死亡、3万人の生存者のうち7千人が日本に在留し、2万3千人が韓国に帰国したという(数字は『被爆韓国人』1975年による)。この被爆韓国人の存在が日本で知られるのは1965年の日韓基本条約締結直後であり、中国新聞の記者であった平岡敬(後の広島市長‥1991~1999)の紹介を通してであった(日本の「唯一の被爆国」というナショナリズムは、この頃に変化が現れるようになる)。
 ここで重要なのは、この時に至るまで韓国の中でさえも韓国人被爆者の存在はほぼ省みられてこなかったという点である。日韓基本条約締結と前後して、被爆者たちは社会の無理解と周囲からの差別に晒されながらも被爆者たちの団体を結成するが、原爆治療の整っている日本での治療および補償を求める活動を始める。日本政府はそれを拒絶するが、日本社会の市民は韓国人被爆者の渡日を受け入れ、日本人の責任として支援活動を行い始めたのが1970年頃であった。代表的な団体に「韓国原爆被害者を救援する市民の会」(1971年)と「在韓被爆者問題市民会議」(1988年)がある。この市民による支援活動を象徴するものが、韓国人被爆者の孫振斗が被爆者健康手帳の交付を求めた裁判(支援)である。
 韓国人被爆者は、日本が植民地支配をしていなければ被爆することはなかった人々であり、かつ被爆当時は「日本国籍」であったが、孫振斗裁判以前では日本政府はその補償を行ってこなかった。その理由は、被爆者健康手帳の交付の根拠となる原爆二法はあくまで現在の日本国民への「社会保障」であり、かつ戦争被害への「補償」ではないからというものであった。しかし、原爆二法には「国籍条項」がなかったこともあり、孫振斗裁判の過程でこの日本政府の「解釈」は法理論上通用しなくなっていく(地裁、高裁、最高裁で孫振斗側が勝訴)。そして、孫振斗裁判の最高裁判決では、明確に「国家補償」を認めたのである。
 だが、この「国家補償」を認めた最高裁判決を打ち消すために出されたのが冒頭で紹介した「基本懇」の答申であり、国民は国家の存亡をかけた戦争では、自らが受けた被害を受忍すべしという「戦争被害受忍論」の提示であった。そして、そこには在韓被爆者への言及は一切存在しなかった。また、日本政府は孫振斗裁判の一審判決以降、在韓被爆者が現在は日本に住んでいないから被爆者手当てを交付しないという「属地主義」を新たに提示して補償を拒絶しようともした(402号通達)。このように「国民」の定義を恣意的に使用することで補償の範囲をきり縮めていこうという政治が行われてきたのだ。それに対し、日韓の市民はそうはさせまいとして連帯して対抗し、裁判でこの「属地主義」をも覆したのである(日本政府が敗訴)。
 以上のように、日韓の市民の連帯運動は50年近くの歴史を有しているのだが、残念ながら「在韓被爆者」問題のように多少なりとも結果を出すことができた運動は実はレアケースである。戦後補償全体の中での「在韓被爆者」問題がなぜ一定程度解決することができたのかを、次回は「運動」とは違う面から検討したい。(社会学)

※本稿の(下)は、3222号9月12日号に掲載予定。








リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約