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評者◆秋竜山
灰さようなら、の巻
No.3214 ・ 2015年07月11日




■上田紀行『人生の〈逃げ場〉――会社だけの生活に行き詰まっている人へ』(朝日新書、本体七六〇円)では、「火のまわり」のことがのっている。今や死語に近い日本語だろう。昔から知っている人でも、突然いわれると、エッ!! となる。理解するのに瞬時脳に考える間をあたえなくてはならないだろう。そんなわけで、平成世代には、「火のまわり」と、いってもわかるわけがない。「火の用心」、「マッチ一本火事のもと」なんて、どーだろうか。これらの標語は赤ん坊でも知っていた。火事の怖さである。考えてみると、いや考えなくても、火事というものは不思議な現象である。火が燃える。そして、焼きつくして消える。消えた後、燃えた後ともいうが、すべてを灰にしてしまうということだ。十返舎一九だったか、辞世の句だったと思うが、人生最期に「灰さようなら」である。つまり、灰というものは最期の最後である。灰を見るということは、灰見とどけました!! と、いうことだ。そーならないために深夜「火のまわり」をして歩くのである。昔は「火の用心」と筆で書いて、又は「マッチ一本火事のもと」と書いて、かまどのわきへ貼って置いたものである。今は「ガスの用心」となるのだろうか。「火の用心」とか「マッチ一本火事のもと」などが、活き活きした言葉であったのは昭和二十年から昭和三十年あたりまでだろう。ある古書店の主人と話していたら、昭和二十年代の特に始めの頃の古本だったら、まだ活きていて売れないこともないだろうけど、それ以外の古本となると、灰に近いものだろうねえ!! と、いった。古本としての価値を見出すには骨がおれると、いうことだ。商売にならない。売れないってことだ。それなりの理由はあるだろう。昭和二十年代後半から三十年にかけて、私にとっては人生最大のワクワクした日々であっただろう。これこそ、私の人生の逃げ場とよべるではなかろうか。毎日のすべてが、当時は、「漫画王」であり、「おもしろブック」であり、「少年画報」であり、「少年クラブ」であり、あげたら切りがない。月刊の子供漫画雑誌(児童漫画といっていた)に十大ふろくがはさまっていた。月に一度の発売日の待ちどおしさといったら、店に置かれてないのがわかっていながら、発売日の前日に店へ飛んだ。売ってなくてガッカリしながら一時間以上ある山道をトボトボ歩いて家に帰った。あの時代、漫画黄金時代であった。漫画雑誌文化がなかったら、少年たちにとってどんな日本であったのだろうか。
 〈町内会の行事にも、非効率なものがたくさんあります。たとえば、いまだに地域によっては、年末に住民が交代で「火の用心」と言いながら、拍子木を叩いて町内を歩いて回っているところがあります。正直、「あれってどこまで防火の効果があるのかな」と思います。もちろん「火の用心」という声と拍子木のカチカチという音を聞いて、「うちも火に気をつけなくては」と思う家もあるでしょうから、まったく効果がないわけではないでしょうが、とはいえかなり非効率そうです。しかしあの行事の本当の目的は、みんなで集まることにあったりします。〉(本書より)
 今では拍子木のカチカチする音は浮世ばなれした音にも聞こえてくる。かくして拍子木を「チョーン」と打ちならして、「ハイ、これ切り」となってしまうのか。「本日はこれ切り」には、また「明日がある」と、いうことでもある。







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