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評者◆堀田義太郎
ヘイトスピーチは、歴史的社会的な差別を前提とする――被差別者に対する劣等処遇と物理的な排除・攻撃を、積極的に是認し正当化する行為
No.3214 ・ 2015年07月11日




■ヘイトスピーチの定義のひとつに、「マイノリティに対する攻撃または差別の煽動」というものがある(師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年、48ページを圧縮した)。この定義は、欧米も含めて「ヘイトスピーチ」という言葉が用いられる文脈の共通性を踏まえて、その用法をうまく表現している。その特徴は、ヘイトスピーチが「マイノリティ」を標的としている点、そして「攻撃または差別の煽動」という内容をもつとしている点である。
 それに対して、一部の「ネット右翼」と呼ばれる人々の話だが、反ヘイト活動に対して「日本人へのヘイトスピーチだ」とか「日本人差別だ」といった言い方がされることがある。先の定義からすれば、「日本人に対するヘイトスピーチ」という表現自体が成り立たないし、そのことは多くの人々に共有されているだろう。「ヘイトスピーチ」という言葉は、単なる攻撃や罵倒、侮蔑や中傷、脅しなどとは違って、とくにマイノリティに対する攻撃または差別の煽動という内容を持つ表現の、特別な悪質さを示すための言葉だからである。
 その意味では、「日本人に対するヘイトスピーチ」云々は単に無視しておけばよいのかもしれない。私自身、ほとんどそう思っている。ただ同時に、これのどこがなぜ間違っているのかを明確にすることもまた重要だと考えている。それは、ヘイトスピーチが、他の攻撃的で侮辱的な表現、脅しや罵倒よりも、なぜ特別に悪質だと言えるのかという点に関係するからである。
 この悪質さの根拠について、直感的に分かりやすいのはヘイトスピーチが与える「害の大きさ」である。たしかに、ヘイトスピーチはその標的となる人々に大きな害を与えている。そして、実害の大きさはヘイトスピーチの規制根拠としては重要だろう。しかし、ある表現をヘイトスピーチと呼ぶための根拠と、その規制のための根拠は別である。むしろ問題は、なぜヘイトスピーチと呼ばれる表現が特に大きな害、とりわけ恐怖をもたらすのかである。
 この点は、先の定義に含まれている「差別」という言葉の意味から考えることができる。
 近年、差別概念の哲学的な分析論が活発に展開されている。そこで共有されているのは、「マイノリティ」という特徴の重要性である。差別の分析論の課題は、「差別」という語の日常的な用法の中核にある要素を整合的に抽出することにある。では、差別という語の用法の中核的要素とは何か。まずは、①当人の選択の結果ではないような、ある種の特徴や属性に基づいて、②その行為がない状況または他者と比較して、不利益を与える行為または貶める行為であると言える。②についても議論があるが、ここでは①が重要である。当人の選択の結果ではない特徴や属性は様々だからである。日本国で、たまたま親が日本国籍保持者だったから自分も日本国籍を持っているというのも、選択とは関係のない属性である。また、名前や、性的指向、身体的な特徴なども容易には選択できない。
 しかし、では、単に本人が選択できない、または困難な属性に基づく不利益処遇や劣位化はすべて「差別だ」と言えるのか。この点は、次のような仮想的な事例を通して考察されている。(Hellman, When Is Discrimination Wrong? Harvard U. P. 2008)①ある大学で、教員が偶数月生まれの学生と奇数月生まれの学生を、教室の前後に分けて座らせる。②同じく、日本人と日本国籍をもたない学生を、教室の前と後に座らせる。ここで、教室の前方は黒板に近いなどの点で有利だとする。これらはいずれも、本人が選択できない属性に基づく(不)利益処遇である。では、私たちは、①と②をまったく同じく評価するだろうか。②の方がより悪いと考えるのではないか。それはなぜか。
 たとえば偶数月や奇数月に生まれたという違いが、当人にとって様々な場面で不利益の理由になることはほぼあり得ない。他方、日本では、日本国籍の有無は様々な文脈で(不)利益の理由になっている。とくに在日朝鮮人の場合には、歴史的に「在日である」という理由で様々な不利益・害を受けてきた。西欧で「黒人である」ことも同じである。歴史的社会的な文脈で不利益の理由になってきた属性は様々に概念化されているが、それは端的に「マイノリティ属性」と呼べる(だからそれは必ずしも人数とは関係しない)。
 様々な文脈で不利益や劣位化の理由にされる(されてきた)ような属性をもつ人にとって、個別の場面でのその属性に基づく不利益または劣等処遇は、それ自体は一見「些細」と思われるようなものでも、他の場面を想起させることになりうる。また、たとえその場では本人が主観的には害を感じなかったとしても、歴史的社会的な文脈のなかで劣位化されてきた属性や特徴に基づく貶めなどは、いわば社会的な悪質さをもつことになる。当人に選択できない属性に基づく扱いのなかで「差別」が特に悪質なのは、その標的が社会的に被差別者・マイノリティだからである。
 ヘイトスピーチが単なる侮蔑や罵倒、脅しとは異なるのは、歴史的社会的な差別を前提にしているからである。「日本人へのヘイトスピーチ」等がナンセンスなのは、日本では日本人はマジョリティだからである。また、多くの人が、ヘイトスピーチに特別の悪質さを感じている。それは正しい感覚である。実際、ヘイトスピーチは、被差別者つまりマイノリティに対する劣等処遇と物理的な排除・攻撃を、そして差別を積極的に是認し正当化する行為だからである。
(東京理科大学)







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