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評者◆大矢靖之(紀伊國屋書店新宿本店)
戦後70年、忘却・正当化は許されない
原爆供養塔――忘れられた遺骨の70年
堀川惠子
No.3211 ・ 2015年06月20日




■戦後七十年を迎えた本年、戦争にまつわる多くの書籍が発行され続けているが、この書は多くの本の中で目を引いた。原爆供養塔とは、広島平和記念公園の片隅にある塚のことだ。その地下には、およそ七万人の遺骨が眠っている。物語は、その供養塔の世話をしていた佐伯敏子さんと著者の出会い、そして佐伯さんの半生から語られることになる。
 1945年、運命の日、8月6日、原爆投下。爆心地から離れたところで難を逃れた佐伯さんは、災禍の中心へ家族を探しに駆け出してゆく。焼け爛れた顔の次兄。骨と肉を飛び散らせた瀕死の長兄とその子供達。悲惨な状態の家族と出会った。だが、母親が見つからない。明くる日、佐伯さんは小学校で横たわる負傷者の足を力いっぱいに踏み付け、あがる悲鳴を元に母ではないかと探し求めた。数十、数百の悲鳴……。それでも母は見つからない。終戦後、兄や妹らが次々と死んでいく日々の中、ある日義兄が「母さんを連れて帰ったぞ!」と大声を響かせる。帰ってきたのは遺体であった。しかも、首だけの。
 この場面から先の悲惨については、もはや正気では要約不能である。こうして記している今も感情が定まらない。とにかく、佐伯さん一族のうち十三人が、あらゆる形で亡くなった。帰る先も訪ねる先も失った佐伯さんだが、家族と再会して安定を得て、原爆供養塔に日参することになる。
 その最中のエピソードをひとつ、記したい。紆余曲折の末、義父と義母の遺骨を見つけた佐伯さんは、「供養塔に行くのはやめて、家のことをしっかりやるけえね」と家族の前で宣言する。だが、三男から思わぬ言葉が飛び出した。「ちょっと勝手がええんじゃないか。ほんまに大切なことなら、やめたらいけんのじゃないか」と。この言葉で佐伯さんは供養塔への日参を続け、供養塔の名簿から多くの遺骨を遺族の元へ還していく活動へと至る。不覚にも、三男の言葉に泣かされた。このことがなければ、佐伯さんが多くの遺骨を在るべき処へ還すことはなく、著者と佐伯さんの出会いもなく、この書が編まれることも当然なかったのだと理解された。こうして流れる涙もなかったことになるだろう。因果は時に、些細な一言、思わぬ出来事で自走してゆく。
 本書後半部では、著者が佐伯さんの遺志を引き継いで、納骨された人々の名簿を辿り始める。旅の過程で行き着くのは、二つの名前を使った朝鮮半島出身者たちであったり、別人の遺体を持ち帰り我が子と信じて暮らす遺族であったり、遺体本人を葬っていたものの、その事実を遺族に告げることが出来なかった男性の涙であったり。死者の名簿は、相当の不確かさを伴っていたことも分かる。不確かさの由来を調べて、著者は壮絶な遺体処理と記録を担った、当時の少年兵達の存在に行き着く(彼らの過半は原爆症に似た症状で亡くなっていた)。際限もなく続く悲しい逸話には絶句を禁じえないが、逸話によって歴史の闇に埋もれていた事実が次々と明らかになっていく。
 読了後、ただひたすらに戦争の罪悪を思い、無数の人々の犠牲と、戦後を生きた人々の労苦に頭を垂れるほかなかった。歴史と死者達の重みが全身全霊に圧しかかってくるかのように感じられる一冊だった。戦後七十年とは、この重みを真摯に受け止めるべき区切りではなかろうか。戦後七十年にまつわる一連の書を反省的に読む私達には、ある種の忘却、素朴かつ単純な正当化など許されてはいないのだ。







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