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評者◆秋竜山
印刷されたよろこび、の巻
No.3211 ・ 2015年06月20日




■漫画は印刷芸術である!!と、いつ頃からかいわれるようになった。漫画は印刷されて初めて価値がうまれると同時に存在感もうまれるものである。そして、人々は喜ぶ。そのために漫画を志す若者は、なんとかして、どこかの雑誌社などに必死に描いた漫画を郵送したり、直接持ち込んだりしたのであった。採用されるには程遠い作品であった。持ち込む誰もが、今度こそはと、神に祈る思いで出版社のドアを押した。運よく採用されると、小さなカット一つであっても印刷されたよろこびは狂喜であった。それは経験したものでなくてはわからないだろう。印刷される漫画と、印刷されない漫画は天国と地獄の差があったが、まさに正直な世界であって、余計なことを考えずに済んでよかった。同じ行為は繰り返された。漫画は印刷芸術であるなどといわれたりしたものの、たしかに漫画は印刷される・されないが運命のわかれ目みたいなものがあったが、芸術ということに関してはどうでもよいことであった。芸術という言葉の響きに弱いのが芸術の世界である。漫画を芸術だなんていわれると、漫画の価値が引き上げられたような気がしないでもない。印刷芸術としたことが面白い。
 佐々木健一『美学への招待』(中公新書、本体七八〇円)では、複製について論じられている。直接、印刷芸術あるいは印刷漫画でないのがザンネンなり。あわてるな、あわてるコジキはもらいがすくない。
 〈複製がオリジナルのまがいもので、価値的に劣る、というのは、絶対的です。なぜなら、それは複製という概念のなかに含まれていることだからです。しかし、それにもかかわらず心の底では、納得しきれない声がつぶやいています。藝術は、実際にそれを愉しめるかどうかが問題ではないか。この点では複製は立派に役に立っている、というのです。われわれは複製に取り囲まれていますし、ひとによっては複製でしか藝術を知らない、ということもあります。それでも、自分はオリジナルに触れている人びとに負けないだけ藝術をよく知っているし、藝術を愛してもいる。と言いたいひとも少なくないでしょう。〉(本書より)
 私自身は複製大好き人間であると思っている。よく美術館などで世界の名画をチンレツしたりする。みんな大さわぎするが、私はどーも一緒に大さわぎする気分になれない。なぜならば私は複製派であるからだ。それでもオリジナル派の大さわぎにつられて、足をむけてしまうこともある。世の中にたった一枚しかないオリジナル作品の前に立つと、さすがドキドキしてくる。本物という権威の象徴のようなものがあるような、ないような。すると、「やっぱり本物は違う」なんて、感動のようなつぶやきをしてしまったりするのである。それでも帰りには受け付けの売店などで図録などを買う。家に帰った後、ベッドの中で、その図録の画集を何回もめくりなおしたりしながら複製のよさを確認するようにしてたのしむのである。
 〈オリジナルの体験が複製体験のあとに来て、複製の再認になっているということは、倒錯した事態のように見えます。〉(本書より)
 オリジナルの作品は他人のもの、複製された画集の作品は自分のもの。いつだって引っぱりだして、じっくり眺めることができるというものだ。







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