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評者◆秋竜山
温泉街では傘をさす、の巻
No.3210 ・ 2015年06月13日




■原田稔『江戸しぐさの正体――教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書、本体八二〇円)で、傘が論じられている。江戸しぐさの傘についてだ。著者における検証である。江戸ではどのように傘をさしたのか。もちろん、雨にぬれないように傘をさしたのだろう。それを知るには浮世絵などでみることができる。日本人はどうして傘をさす姿がよく似あうのか。外国人はなぜ似あわないのか。そんな傘が似あう日本人が突如、傘を持たなくなってしまったのである。傘は似あうから持つのではなく、目的はあくまでも雨にぬれないためにである。では、傘では雨にぬれてしまうのか。傘の運命をかえたのはコオモリの出現によってであることは、誰でもわかっているだろう。時代がコオモリを要求したのである。傘よりもコオモリのほうが持って軽いし、重要なことは昔は着物に傘はピタリと似あったが、誰も着物など着ている時代ではなくなってしまって洋服の時代となったからだろう。洋服にはコオモリが似あう。私も今まで雨の場面のマンガをよく描いてきたが、すべてコオモリをつかって傘はまったく描いていない。傘などさしている人がいないからだ。雨ふりでよくあるシーンで、ふられて困っている人に、「どーぞ、おはいりなさい」と、唐傘をさし出すと、相手は一瞬ギョッとするだろう。コオモリならいざしらず唐傘の中にはいるのには勇気がいる。今の時代、日本中どこをさがしても唐傘をさしている人はいないだろう。
 〈時代劇などで浪人の内職としてよく傘張りが出てくることから誤解しがちだが、江戸では差して使う和傘(唐傘)の普及は京や大阪に比べて遅れていたのだ。江戸時代も末期の天保年間(一八三〇~一八四四)頃には江戸でも和傘の普及が進むが、それでも贅沢品という性格が強かった。江戸っ子たちは雨具として、主に頭にかぶる笠や蓑を用いていたのである。江戸でも大店の商家では、急な雨の際に客に傘を貸し出すサービスをすることもあったが、これはその傘に入った屋号を目立たせることによる宣伝という意味が大きかった。〉(本書より)
 私の子供の頃の自分の専用の傘にも、自分の名前と屋号が書かれてあった(昭和二十年代後半)。村中のひらいた傘に屋号が書かれてあり、どこの家の傘であるかすぐわかったのだった。コオモリのように、間違えてもっていかれることなどなかった。そういえば、温泉宿の傘にも旅館の名前が大きく書かれてあった。雨の温泉街では、旅館のお客たちは、とまっている旅館の名入りの傘をさして、並んでいるみやげ屋などをながめてはひやかして歩いた。そんな時、みやげ屋の若い女店員などに、「○○旅館さん、お寄りください! おまちしておりました」などと大きな声で呼び止められて、「アレ!? 俺のことを知っている」なんて、うれしくなったものであった。が、実は傘に旅館名が書かれてあったのである。それがわかっても、呼びとめられたことに悪い気がしなくて、よけいにおみやげ品を買ってしまったものであった。これは旅館の作戦どおりであった。温泉場の傘が姿を消してしまったことで温泉情緒がなくなってしまったとよくいわれる。とはいえ、助六や白浪五人男は傘は手ばなさないだろう。いや、わからんぞ。客がコオモリを要望すればアッという間にコオモリにかわってしまうだろう。そういう時代がこないとも限らない。







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