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評者◆稲賀繁美
「夢」を巡る語彙のたゆたいを――夢想の方法論的反省にむけた覚書(下)
No.3210 ・ 2015年06月13日




■(承前)こうしてみると、日本文学における「夢」の解析は、これを狭義の国語学や国文学の内部だけで遂行するのでは、いかにも不十分かつ危険なことが見えてくる。そもそも「夢」の概念規定そのものが、近代以降の欧米語との交流のなかで変成を蒙り、国語国文学における探求の枠組みもまた、舶来学術との接触のなかで変貌を遂げた国学の姿を映している。折口は「のすたるじい」の典型を、上代文学の「おもかげ」に探り当てていたからである。
 「夢想」とはルソーの『孤独な散歩者の夢想』でもあって、昂進すれば白昼夢から幻覚にまで結びつく。だが『日本国語大辞典』の「ゆめ」の項は、ここでもこの語意の用例に欠く。その反面『集英社国語辞典』第3版は「幻視」に「医学用語」との注記をつけvisual hallucinationの英語を添えている(今野真二)。語彙論あるいは語彙史の立場からみれば、「幻視」などはたしかに「非歴史的」な「現代的」訳語に過ぎまい。だがこうした概念枠が一度術語として定着すれば、そこから時代を遡って、過去の文献に該当例を探ることとなる。「幻視」「幻覚」といった語彙は古代には不在だろうが、実例には事欠くまい。
 概念枠の網目と、呼応する隣接語彙群探しとには相互循環が発生する。容器と中身との鼬ごっこは、構造主義言語学のイロハである。本邦の国語辞典は、何故かそうした方法論的反省を欠き、明治以降の外来語経由の概念枠の扱いに、なお習熟不全な欠陥を温存しているように見受けられる。

*「夢と表象――その国際的・学際的研究展開の可能性」(国際日本文化研究センター、2015年3月1‐3日、荒木浩主催)席上で発言し損ったコメントを、備忘録として文章に残す。







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