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評者◆秋竜山
蒲団の上の蚤、の巻
No.3209 ・ 2015年06月06日




■若い時、変てこな名前だと思いながら「蒲団」という小説を読んだ。「田山花袋」の「蒲団」である。奇妙な小説だと思った。そのせいか、蒲団戸棚をあけしめするたびに、「田山花袋」とか「蒲団」とか条件反射的に頭の中に浮かびあがる。近所の蒲団店の前を通る時、店の中に蒲団がつんであるのを見て、やっぱり例の如くだ。まったく不思議な現象であった。石原千秋『なぜ「三四郎」は悲恋に終わるのか――「誤配」で読み解く近代文学』(集英社新書、本体七二〇円)で、田山花袋の「蒲団」をとりあげている。〈いま「蒲団」研究が面白い〉というタイトルがついている。面白いということは、時代を越えた作品ということになるのか。いつの時代でも、面白いという人とつまらないという人がいるものだ。
 〈柄谷行人は「蒲団」が告白小説であることは認めながら、告白すべき「内面」が先にあるのではなく、告白によって隠すべき「内面」が作られるのだという逆説を説いた。(略)花袋の「蒲団」がなぜセンセーショナルに受けとられたのだろうか。それは、この作品のなかではじめて「性」が書かれたからだ。(略)「はじめて「性」が書かれた」とは、「蒲団」によってはじめて「性慾」が隠すべきもの、恥ずべきものとして書かれたという意味である。この柄谷行人の「蒲団」理解が起爆剤となって、折からのセクソロジーの流行の波にも乗って、みるみるうちに多くの「蒲団」論が書かれた。〉(本書より)
 蒲団といえば誰でももっている。そして性慾の現場のようなものである。それにつけたして、「女学生」を出すなんて。
 〈結局、芳子というキャラクターは、「女学生」の代表であり、表象(文化的な記号)なのだ。つまり、時雄の欲望は、芳子の肉体にではなく、「女学生」という表象に向けられているのだ。(藤森清「ジェンダーと囲い込み」『ジェンダーの日本近代文学』中山和子、江種満子・藤森清編、翰林書房、一九九八・三)〉
 要するに「蒲団」「女学生」となったら、いやらしさそのものである。もし、この小説のタイトルが「蒲団」でなく別のものだったらどーだろうか(いやらしい物の考えかもしれないけど)。当時、私は子供であったので「蒲団」をいやらしい現場とは思いもしなかった。と、いうよりそんな性慾よりも蒲団の上の蚤取りに熱中していたのであった。深夜、薄暗い電球の下で大人たちまでも蚤取りにおわれていた。田山花袋の「蒲団」には、そのようなことが一行も書かれていない。女学生の芳子が蚤取りに一心不乱であった、など書かれてあったら、私小説的な生活感があるにせよ歴史に残る文学作品もだいなしになってしまっただろう。当時の蚤に悩まされた人たちは、この小説からそのような場面を思い浮かべるかもしれない。しかし、今の若い人たちのように、蚤そのものを見たことのないものに、行間から蚤取りを読みとれといっても、なんのことかさっぱりわからないだろう。わからなくてもいいことであるかもしれない。それが時代というものだろう。







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