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評者◆塩原良和
宗教的過激主義・レイシズム・多文化主義――「われわれの文化」が「正常」で「かれらの文化」が「異常」であるというマジョリティ側の前提そのものを、今日のグローバルな宗教的過激主義の台頭は揺るがしている
No.3208 ・ 2015年05月30日




■本稿執筆中の2015年初頭、日本のメディアにおいて「文明の衝突(をどう乗り越えるか)」「異文化との共存(をどのように実現するか)」といった問いかけがしばしば見られるようになった。その背景には、日本人も犠牲になった宗教的過激主義勢力による非道な行為の世界各地での頻発、あるいは、それに影響された人々が日本国内で引き起こすかもしれない犯罪や秩序の崩壊への恐れがある。しかし多文化主義を専門とする研究者である筆者から見ると、グローバル化する宗教的過激主義の問題を「文明の衝突」「異文化との共存(の危機)」といった言葉で把握することにはふたつの大きな問題点がある。
 第一に、「地元育ちのテロリスト」の台頭に象徴されるように、近年の先進諸国で発生している宗教的過激主義の暴力のかなりの部分は、自らの社会を憎悪する人々によりその社会の内部から生じている。つまり、そうした過激主義には「文明の衝突」という国際政治・地政学的概念ではとらえきれない、国内社会の問題という側面がある。貧困や格差、差別や偏見などによって自らの社会から排除されていると感じた人々が、まさにその社会で望ましいとされる価値観を共有しているがゆえに、それを実現する機会を与えられないことに絶望し憎悪を募らせる状況を、ジョック・ヤングは「過剰包摂」と呼んだ(『後期近代の眩暈――排除から過剰包摂へ』青土社、2008)。この絶望と憎悪がグローバルな宗教的過激主義のネットワークと結びついたとき、「地元育ちのテロリスト」が生まれる。そしてこれは、国内におけるエスニック・マイノリティへのレイシズムや、人生の可能性の欠如という意味での社会的排除が深刻な社会ほど、宗教的過激主義による暴力が発生する可能性が高いことを意味する。
 第二に、今日のグローバルな宗教的過激主義は、特にインターネットを通じた周到な情宣活動によって影響力を広げている。実際に過激主義組織に参加するには至らない人々でも、ネットにアップされた動画に影響されて追随・模倣犯となることもありうる。たとえその人が民族的・文化的マジョリティに属していても、自らの社会に対する不満や憎悪を抱いていれば、そのような参加・追随・模倣は起こりうる。つまり「異文化との共存」という問いの背後にしばしば隠されている、「われわれの文化」が「正常」で「かれらの文化」が「異常」であるというマジョリティ側が抱くオリエンタリズム的前提そのものを、今日のグローバルな宗教的過激主義の台頭は揺るがしている。
 グローバルな宗教的過激主義に対処するうえで、多文化主義の理念・政策がもつ有効性は両義的である。先進諸国における従来の多文化主義は、理念的にはエスニック・マイノリティの民族・文化的差異の承認と自由民主主義の枠組みの両立を目指す「リベラルな多文化主義」(ウィル・キムリッカ『土着語の政治――ナショナリズム・多文化主義・シティズンシップ』法政大学出版局、2012)である。また政策的には、自由民主主義体制と両立しうるエスニック・マイノリティ独自の権利・義務・アイデンティティとしての「多文化的シティズンシップ」(キムリッカ『多文化時代の市民権――マイノリティの権利と自由主義』晃洋書房、1998)を福祉国家的な公共政策によって保障しようとする「福祉多文化主義」(塩原良和『共に生きる――多民族・多文化社会における対話』弘文堂、2012)としての特徴をもつ。こうした多文化主義政策は反レイシズムを含むエスニック・マイノリティの公正な社会的包摂を追求するため、宗教的過激主義の影響力を抑制する要因となることが期待できる。
 しかし近年、先進諸国の多文化主義政策は新自由主義の影響を受けている。そして、必要な人材を民族・文化の区別なくグローバル化と連動した労働市場のニーズに基づいて導入するとともに、エスニック・マイノリティ向け公的支援の効率化・民営化の徹底を目指す言説・政策としての「ネオリベラル多文化主義」へと変わりつつある(大澤真幸ほか『ナショナリズムとグローバリズム――越境と愛国のパラドックス』新曜社、2014)。このような多文化主義は、リベラルな福祉多文化主義がまがりなりにも国民社会に包摂しようとしてきた下層エスニック・マイノリティを、経済・社会的に不要な「望ましくない」人々として排除・放置する。その結果、排除・放置された人々の不満は増幅され過激な思想に取り込まれやすくなる。つまり、ネオリベラル多文化主義はグローバルな宗教的過激主義と共謀関係にある。
 「地元育ちのテロリスト」を不安視するあまり「内なる敵」の殲滅を声高に叫んで「われわれ」の範囲を縮小させ、結果的に自らの社会を分断してしまう自称「リアリスト」たちの対応よりは、「異文化との共存」を提唱するほうがまだ現実的ではある。ただし「共存」が実効性をもった解決策になるためには、それを皮相的な異文化理解とみなしてはならない。「共存」を文化的差異の承認の欠如と経済社会的な不公正が交錯する複雑な課題として把握したうえで、社会から排除される人々を減らすための具体的な制度を構想することが必要である。それが、グローバルな宗教的過激主義を中長期的に抑制していくことにつながる。国内問題と国際問題の境界が揺らぐことは、国内社会の問題への取り組みが国際問題に影響を与える可能性が広がることでもあるのだ。
(慶應義塾大学法学部)







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