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評者◆秋竜山
赤ちゃんのナゾの微笑、の巻
No.3205 ・ 2015年05月02日




■布施英利『子どもに伝える美術解剖学――目と脳をみがく絵画教室』(ちくま文庫、本体八〇〇円)で、
 〈生まれたばかりの赤ん坊の、最初の感情表現は泣くことです。おなかが空いた、オムツがオシッコで濡れて気持ちが悪い。そういう不愉快さを、泣くことで表現します。〉(本書より)
 そこで、私は、ひじょうにくだらんことを考えてしまった。なぜ、その時、赤ん坊は泣くのかということである。なぜ、赤ん坊は泣くことを選んだのかということである。なぜ、笑うことにしなかったのか、ということだ。どんな赤ん坊でも、同じように「オギャア、オギャア」と泣き出す。そのことについて、専門学者は考えたことがあるのだろうか。「どうして、泣いたりするのか」と、ギモンをもったことがあるだろうか。「ヨシ、そのことについて研究してみよう」などと、思ったりした学者がいただろうか。まさか、赤ん坊はオギャアと泣くのは当たり前だろう!! なんて素人っぽいことで、すませてしまったのだろうか。当たり前のことにギモンを持つということは時間のムダである。その時間のムダに時間をかけるというのが研究者であると私は思う。そんなギモンは、さて、おいて、私は、次のことを考えた。なぜ、泣くのだろうか、なぜ笑うのではないのだろうか。おなかが空いた、といって笑い、オシッコで濡らしたからオムツをかえてくれ、で、なぜ、笑わないのか。まず、最初の赤ん坊が笑っていたら次に続いただろうに。最初に泣いたという事実は、赤ん坊が泣くという事実である。「オイ、笑っているぞ、オッパイをのみたいのではないのか」「ちがうわよ、その笑いかたは、オムツをかえてほしいのよ」なんて、夫婦のやり取りがあったりすることになる。泣くが笑いにかえられただけのことかもしれない。しかし、これだけのことで人間の存在というものに深くかかわってくるのではなかろうか。
 〈モゾモゾと顔の筋肉を動かしている日々を重ねていき、やがてニッコリと笑います。そんな笑顔と向かいあうと、こちらも思わずニッコリしてしまいます。しかし赤ちゃんは、こちらに笑いかけているわけではありません。筋肉が笑いの形になっているだけです。このような笑いは「生理的微笑」と呼ばれます。いっぽう、人に対して笑いかけるのを「社会的微笑」といいますが、それは生後二、三カ月たってからのことです。〉(本書より)
 要するに赤ちゃんのナゾの微笑ということではないだろうか。なにがナゾかというと、生理的とか社会的とか赤ちゃんにとっては、なんの関係もないということである。自然の微笑なのかもしれない。
 〈少し複雑な思考ができるようになったのです。こういう「未来を見る」細胞は、脳の中の大脳辺縁系という、脳の奥の方にあるといわれます。それが発達して、赤ちゃんは未来を見て笑えるようになるのです。「いない、いないバー」は、赤ちゃんがフィクションを楽しむことができる始まりなのです。〉(本書より)
 本書では、〈芸術は、ここから始まります。〉と、いう。芸術とは「いない、いないバー」で始まり、「いない、いないバー」で終わるものと考えていいのか悪いのか。








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