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評者◆秋竜山
馬鹿とか利口とか、の巻
No.3201 ・ 2015年04月04日




■自分の子供に〈馬鹿〉と、名前をつける親がいるだろうか。その子供は一生、馬鹿という名前で生きなければならない。それを見て親として、たえられるだろうか。「出席をとります。馬鹿クン」と、毎朝言われなければならないだろう。そのたんびに「ハイ」と答えなければならないだろう。そんな我が子の姿を見て、平気でいられるだろうか。親として、たまりかねて、「先生、毎朝きいていればいい気になって、うちの子を馬鹿馬鹿と呼ぶが、しまいには親として、怒りますよ」「それでは、なんと呼んだらいいのですか」「たとえば……だ。お馬鹿クンとか……」「わかりました。では、出席をとります。お馬鹿クン」。なにやら、よけいに馬鹿にされたように聞こえてくる。そういうこともあろうと、〈利口〉と、名前をつけた親が先生に「うちの子を利口利口と呼ぶが、二回も三回も続けて呼ぶと、馬鹿にしているように聞こえます。一回切りで呼んでください」「ハイ!! わかりました。それでは、利口クン」。それでも、名前を呼ばれるたびに、利口と呼ばれては、馬鹿にされているようにしか思えてこない。利口と呼ばれたから利口であるとは限らないし、そう思えないのである。人間は本来、馬鹿と利口のどっちかであり、それをあえて、馬鹿とか利口とか言われると、腹がたってくるもののようである。利口クンが駄目なら、「お利口クン」と、呼んだらよいのかというと、もっと馬鹿にされたように聞こえてくるのである。
 田村隆一・語り/長薗安浩・文『言葉なんかおぼえるんじゃなかった――詩人からの伝言』(ちくま文庫、本体八八〇円)に、〈バカ〉という項目がある。〈バカがバカについて語るのかい(笑)。まあいいや、始めるぞ〉で、田村隆一さんの語りが始まる。なんとも可笑しい。そこで、私なりにいろいろ考えてみる。こーいうのは、どーだろうか。「利口が利口について語るのかい(笑)」。馬鹿を利口にしたのだから問題がなかろうと思えるのだが、これとて変な言葉となってしまう。自分のことを利口だなんて、笑われてしまうだろう。「利口が馬鹿について語るのかい(笑)」と、しても、可笑しさには変わりはない。自分のことを馬鹿とか利口とかいうからだろう。では、馬鹿というケンソンしたように言った場合はどーだろうか。しかし、これとてイヤらしさがある。ホントはそうは思ってないくせにと思えてくる。要するに、だ。馬鹿とか利口とかいう言葉そのものが、よろしくないのではなかろうか。
 〈バカには三種類ある。大中小の三種類だ。まずは大バカ。(略)それから、小バカ。(略)困るのが中バカさ。〉
 大バカも小バカもよくわかる。そして、困るという中バカとはどういうものかというと。
 〈自分を利口だと思っているやつが多いんだ。〉(本書より)
 馬鹿になるなら(始めから馬鹿だけど)、大馬鹿になれ!! とは、よくいわれる。この意味はなんとなくわかる。
 〈小バカ。これは好きなんだ。本質的に純粋なバカ(笑)。〉(本書より)
 そーか。わかった。名前を「大馬鹿」とか「小馬鹿」にすればよいのか。「大利口」とか「小利口」とか。人間の笑いの原点は、他人を「馬鹿」とか「利口」と、言うことかもしれない。







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