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評者◆前田和男
若きLGBT人権活動家・辻尾かな子の巻(24)
No.3199 ・ 2015年03月21日




■父の故郷・鹿児島で唯一の「地上戦」

 だが、皮肉なことにもっとも注目してくれたのは、外国メディアだった。公認が出る前から、ロイターやAFPなどから取材をうけた。5月に公認が出ると、こちらから働きかける前に「日本外国特派員協会」から記者会見の要請をうけた。選挙期間中も、CNNやイタリアの公共テレビをはじめ多くの海外メディアから密着取材された。興味深いことに、「性の多様性への容認度で日本は欧米に比べて大きく遅れているといわれているが、尾辻かな子の選挙結果でそれが試される」というのが、いずれの記者やレポーターたちにも共通するコメントだった。おそらくこれほど海外メディアに紹介された候補者もいなかっただろうが、彼らのメッセージが日本の有権者に届かないことが選対としてはいかにも残念でならなかった。
 これほどの取材の嵐をうけながら、選対としては、どこまで有権者に届いているか不安を拭いきれなかった。通常の選対では、選挙の公示までに何度か票読みを行なうが、尾辻選挙では支援者名簿などないので読みようがない。仕方なく、ビラを10万枚撒いたので、そのうち5%が尾辻に投票してくれるだろうといった“とらぬタヌキ”的予測を試みたが、それでも10万票には届かない。
 そこで、選対から尾辻の父方の故郷である鹿児島で唯一の「地上戦」を展開する案が急浮上。これには当初、尾辻本人が強い難色を示した。理由はこうだった。
 尾辻の父方は薩摩藩の貿易港・坊津の出身で、代々、藩の漢方医の家系。坊津が外国への窓口でもあったことから、尾辻一族は幕末にいち早く西洋医学を取り入れ、鹿児島のみならず日本の西洋医学の礎を築き、鹿児島県内に数多くの病院を設立、地元でも大きな影響力をもっていた。当時叔父は鹿児島市医師会の副会長をつとめていた。幼年時には尾辻は夏休みや正月になると、坊津で第二のふるさとを満喫した。家にいるよりも男の子たちと一緒に海で素潜りするのを好む尾辻は、一族から将来が楽しみだと期待され、やがて空手でアジアチャンピオンになるに及んで「一族の誉」となった。それが突然のカミングアウトでその評価は一族の名誉から不名誉へと反転。以来、尾辻にとって鹿児島は二度と戻ることができない「トラウマの地」になった。そんなところへとても行けないと尾辻がいうのも無理はなかった。
 これに対して選対会議ではこんな説得が試みられた。この選挙はオリンピックではない、参加することに意義があるのではなく、LGBTを代表して彼らの想いを実現するには何としても当選しなければ意味がない。父親もすでに現地に先乗りしてくれ、親族に状況を縷々説明すると、かな子が同じ辛い境遇にある仲間のために自分をさらして闘う義侠心は大したものだ、「さつまおごじょの鑑」だ、それなら一族を挙げて応援しようでないかと、理解を得ていた。それでも尾辻は抵抗した。仮に親族が理解をしてくれても、鹿児島は(特に一族の出自の薩摩半島南端の坊津は)岩盤のごとき保守の地盤である。そんな地域へ行ってレズビアンが受け入れてもらえるはずがない、と。
 それに対して選対ではこんな物語が提起された。典型的な過疎の地である坊津では高齢者が見捨てられようとしている、そんな彼らと同じマイノリティとして連帯する。それはシングル女性との連携と同じ文脈ではないかと。
 その上でLGBTの仲間たちも同行するからというと、ようやく尾辻は了解した。ただし内心では渋々の了解であった。ところが、結果は「案ずるより産むが易し」だった。
 7月10日、鹿児島市内で親族が中心になって盛大な屋内集会を催してくれた。そこは親族との「感動的和解の場」ともなった。地元選出の民主党衆議院議員・川内博史が街宣車の提供など全面的なバックアップをしてくれた。その夜は市内の歓楽街・天文館のゲイバーをめぐり、翌朝はいよいよ坊津へ向けて街宣。家々をめぐるとお年寄りが「あんたが尾辻さんとこのお孫さんか」と温かく話に耳を傾けてくれた。実は、尾辻の大叔父にあたる尾辻義人は戦後「熱帯医学」とりわけフィラリアの権威として世界に知られるようになり、出身地坊津の名誉町民第一号となった人物であった。
 さらにこの鹿児島街宣にはこんな副産物もあった。
 坊津を含む薩摩半島は、日本遺族会をバックにした自民党の大物・尾辻秀久(厚生大臣などを歴任して後に参議院議長に就任)の票田だった。尾辻秀久と尾辻かな子とは本貫(加世田)を同じくする遠い縁戚関係にあった。尾辻秀久陣営はこれまで支持者には「尾辻」とだけ書けばよいと訴えてきたが、今回、尾辻かな子が民主党から立候補して地元へ乗り込んだことで、「尾辻票」が按分されると大パニックに陥ったと、地元紙に大きく報じられた。これは、尾辻秀久陣営にはマイナスだが、尾辻かな子陣営には名前を浸透させる絶好のチャンスで大いなるプラスであった。
 こうした副産物もふくめて、尾辻も選対も鹿児島の地上戦に手ごたえを感じた。わずか一日後は選挙戦本番がスタートする公示日であった。多くの陣営は「第一声」をどこで挙げるかで頭を悩ませる。尾辻選対に迷いはなかった。LGBTのシンボルタウンであり選挙事務所のある新宿2丁目しかない。問題は「第二声」だった。選対はその場所をおととい街宣を行なったばかりの鹿児島にした。参院選挙の選挙戦は17日間で、最終日の7月28日をどこで打ち上げるかが各陣営には重要な意味をもつ。尾辻は、最終日、「最後のお願い」を午前中鹿児島で、ついで午後は大阪府議時代の地元の堺で、そして最後の最後は夕刻に東京へ戻って新宿2丁目でマイクを納めたのである。つまり鹿児島には三度も足を運んだことになる。これは選対としてはかなりの賭けであった。
 選挙全体の総括については、後に稿を改めて詳しく述べるが、鹿児島についてだけ先に記しておくと、鹿児島県全体の得票数は2477。一方、LGBTがもっとも多く住んでいると思われる東京のそれは7901票。総投票者に換算すると東京の2・3倍であった。この数字からすると、鹿児島での唯一の「地上戦」は、大きな成果を挙げ、後の繰り上げ当選にも大いに貢献したといっていいだろう。
 さて、5月17日の公認決定からわずか2か月半、とにかく、限られた期間内で、限られたスタッフで、つかみどころのない対象に向かって、やれることはやった。後は7月29日の投開票の結果を待つだけだった。
(本文敬称略)
(つづく)







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