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評者◆金友子
路上の憎悪と日常の「微細な攻撃」――その二つに通底しているのは無知である
No.3198 ・ 2015年03月14日




■「ヘイトスピーチ」について言いたいことはたくさんあるが、何をどう言えばいいのかいつも戸惑う。私は、ちょうど去年の冬にある授業がきっかけでヘイトスピーチの対象になった(私が経験した事件やそれに関して思ったことなどは、『インパクション』一九七号に書かせていただいたのでそちらを参照されたい)。怒り、失望、恐怖など色々な感情が渦巻いたが、その奥底で疼いていたことがある。この社会は、私にとって生きる価値があるのだろうか。ネットでの、あるいは路上でのあの醜いものを野放しにしているこの日本社会。私はこの社会に対する信頼を失った(自分がこの社会の役に立っているかは心許ないが)。もちろん、ヘイトデモに対抗するカウンターの存在は心強い。先日の京都でのヘイトデモの時には、私は何か美しい光景を見た気分にさえなった。
 「ヘイトスピーチ」という用語によってもたらされたインパクトは大きかったし、実際、なされていることの余りの酷さもあって、在日朝鮮人を主としてエスニックマイノリティに対する差別・暴力が問題として社会的に共有された。八〇年代の指紋押捺拒否闘争以来ではないかと思われる。しかし言葉のインパクトが先行してしまうと、これまでの差別と抑圧の歴史が見えづらくなってしまう。あの苛烈さは近年のことかもしれないが、差別はずっとあり続けてきた。ヘイトクライムといえる事件も数々起こっている。六〇~七〇年代には朝鮮学校の学生が日本の学生から襲撃され、死亡や重症に至る事件が頻発した。八〇年代以降、二〇〇〇年代の初めにも朝鮮民主主義人民共和国に関連して何かあると朝鮮学校の女子学生の制服が切られたり、駅のホームから突き落とされそうになったり、唾を吐かれたりした。
 もうひとつ見落とされてしまうことに、日常のレイシズムの現実がある。レイシズムや差別といった語彙では語りにくい、非常に微妙な発言や行為が、在日朝鮮人を取り巻いている。「日本語うまいですね。どれくらい勉強したんですか?」「日本人みたいに見えますね」(どうやら褒め言葉らしい)や、「留学生ですか?」などなど。これらの発言に悪意はないだろうし、単に会話を続けるため、あるいは他者への関心からなのだと思う。しかし発言の前提を考えてみよう。時に発言者も聞く側もそれと気づかないようなレイシズムを「微細な攻撃Microagression」という(Sue, D. W. 2010.  Microaggressions in Everyday Life: Race Gender and Sexual Orientation. Hoboken, NJ: Wiley)。
 これはチェスター・M・ピアースというハーバード大学の教育・精神医学科の教授が一九七〇年代に提案した概念で、近年、人種差別(と性差別)の新たなありようとして注目されている。たとえば白人カップルの横を黒人男性が通り過ぎるときに、白人男性は後ろのポケットに入れた財布を確かめ、白人女性は自分のカバンを持つ手を強くする。アジア系アメリカ人がタクシーに乗ると運転手が「英語上手いね」と褒める。それぞれ、黒人は犯罪者、アジア系アメリカ人は永遠にアメリカ人と見做されないというメッセージが隠されている。人種・民族的マイノリティだけでなく、女性や性的少数者、障碍者なども対象になりうる。簡単に定義すれば、ある属性を持つ人に対するステレオタイプをベースにした、差別的言動である。特徴として、マイノリティの感覚や経験を無視ないし軽視し、差別の現実を認めないか軽く見積もる人によって行なわれる。そして意図的であるにせよ意図的でないにせよ、敵対性や軽蔑を含んだ、あるいはネガティブな意味づけを含んだ軽視と侮辱が相手に伝わる。これの厄介なところは、発言する側はたいてい無意識で(しかも善人だったりする)、聞く側も気にしない人は気にならないので、気にする人が「考えすぎ」と非難され、被害が無化されるところにある。
 「日本語うまいですね」や、「あなたがはっきりものを言うのは韓国の方だからですか?」「日本人と変わらないですよ」(どっちやねん!!)などと私もたまに言われるが、これらと「国に帰れ」は同じ人種主義のグラデーションのなかに位置づけられるのではないか。たとえ、前者に悪意はなかったとしても、隠されたメッセージは限りなく近い。すなわち、私はそもそもここにはいなかった人だ、私はここにはいるべきではない人だ。日本には「日本人」しかいない。「日本人」ならもっと謙虚である。「日本人」であることは善であり他の人種・民族より優越している。
 微細な攻撃とヘイトスピーチに違うところがあるとすれば、あからさま加減と強烈な憎悪の有無である。通底しているのは無知である。何をそれくらい、目くじら立てることもないじゃないかと思うかもしれない。しかし朝鮮人は、おそらく、マジョリティの日本人とは違う現実を生きている。在日コリアン青年連合(KEY)が実施したアンケート調査(http://key‐j.org/program/doc/2014/201407houkokusyo.pdf)には、日常生活で友人から「(韓国・朝鮮に)帰ればいい」と言われている若者の話がいくつも登場する。
 路上やネット上に拡散しているヘイトスピーチと日常の「微細な攻撃」は地続きである。「小さな(マイクロ)」積み重ねも積もり積もれば自尊心は崩壊し、疎外感だけが肥大していく。あそこでスマホをいじっているサラリーマンが、私に殴りかかってくるかもしれない。そんな想像を妄想だと一蹴できる日は当面来そうにない。
(きむ・うぢゃ、在日朝鮮人研究・立命館大学嘱託講師)







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