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評者◆杉本真維子
山小屋はあまりに遠し
No.3197 ・ 2015年03月07日




■山小屋で暮らしたい、と誰もが一度は夢想するかもしれないし、全くしないかもしれない。少なくとも私はときどき夢想する。その願望を真面目に口にしたとしても、田舎を知らない都市生活者の戯言と思われ、周囲はなかなか本気には受け止めない。そんなとき、ばかにするな、私は田舎を知っているんだぞ、と言いたくもなるが、自分の心中を探れば、田舎とは地方都市を指していて、本物の田舎とは似ても似つかぬものである。ああ、なんて甘いんだ、と反省しつつも、私は埼玉県の奥地に、目星い山小屋を見つけてしまった。
 見に行かないはずはなく、新宿から電車で一時間半、すぐさま飛んでいった。実際に見たら、外観は小屋だが、内観は簡易な住居であった。玄関を入ると、左手に和室四畳半、右手に台所が六畳、玄関から少しの廊下があって、突き当たりに洗面台、左手にトイレ、右手に浴室がある。間取りはこれだけの質素なものだが、南側に九十平米の庭がある。最近まで畑を作っていた形跡もある。これで土地を含めて値段は百五十万円である。
 ほんとに買えるのか。だって百五十万円ですよ。誰に言っているかわからない言葉が頭を飛びかう。不動産屋はあまりの安さに、微塵のやる気もなかった。ああ、そうですね、日当たり抜群ですし、と棒読みで言う。じつはここは山中ではなく、山付近の住宅街に突如あらわれる「小屋」なのだ。駅からの交通機関は皆無の地とはいえ、近隣住民からしたら、住宅街で山小屋生活を目論む不審な人だろう。
 すべての窓とドアを開け閉めして確認すると、すべての窓とドアの建て付けが悪かった。木製の雨戸がぎいぎいいう。築年数五十年弱だから、たしかにガタがきている。しかし、この庭を見よ。物置を設置すれば、溢れかえる本も置いておける。縁側を置いて、そこに座って茶を啜る。春は日差しのなかでハナミズキの花が揺れ、秋には金木犀が香る。畑に植えたさつまいももそろそろ収穫時だ。焼き芋のいい匂いさえしてくる。この芋を誰にあげようかな。ともあれ、本のために仕方なく近所に倉庫を借りている私にとっては、倉庫に住居と庭が付いているようなもので、とてもよい物件に思えた。
 興奮気味に帰宅し、さっそく家族に小屋の特徴を話すと、トイレが汲み取り式、というところで顔つきが変わった。ばかを見る目である。
一、汲み取り式とはどういうものなのかわかって言っているのか。
二、夏になれば蠅が湧くことは避けられない。虫が苦手で蚊一匹で大騒ぎするような人が、一人でどうやって対処するのか。
 たった二つの質問で、私の夢想は絶たれた。トイレに蓋があるよ、蓋を閉めればいいんだ、と子どものような言い訳をしたものの、自らの愚かさを露呈するだけ虚しかった。用を足して一秒で蓋をしたらだめなのか。それでもやっぱり蠅はくるのか。
 一つ難点がわかると、そこからわっと心配事があふれでる。あまりに簡易な造りなので、夜一人でいるのは正直怖い。人通りも全然ない。床から毛虫が這い出てこないとも限らない。そういえば、部屋の片隅に日本人形が置いてあったけど、不気味じゃないか。だいたい、プロパンガスはべらぼうに高いのだ。
 よくもこれだけの心配事を封印し、魅力だけを語れたものである。山小屋に住みたいと思えども山小屋はあまりに遠し。行きたくても行けない、したくてもしないことは、本当はそうしたくない自分の理由がある。







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