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評者◆清原悠
「区別」という名の「差別」――遠藤正敬著『戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人』(明石書店、2013年)に見る、「戸籍制度」の持つ矛盾
No.3196 ・ 2015年02月28日
■イスラム過激派「ISIS(Islamic State of Iraq and Syria)」による「日本人」の「人質殺害事件」が起こった。この事件をめぐっては多くのことが語られているが、私には特に次の事柄が印象に残っている。それは「人質」となった男性と、その母親の名字が異なるという点を取り上げ、彼ら/彼女らを異常者=「日本人ではない」と語る言葉の数々であった。
「戸籍」に「異常」(らしきもの)を感じさせる者たちは「日本人」ではなく、それゆえ救うに値しない存在として貶められている。「姓」が違うから彼ら/彼女らは「在日」なのではないかということをつぶやく元航空幕僚長や彼への追随者を思い起こしてみれば、いかに「日本人」というものが「戸籍」と強固に結びつけられて想像され、「差別」を誘発しているかを考えざるを得ない。そして、総理大臣による「日本人には指一本触れさせない」という言葉をそこに重ね合わせれば、その先にいかなる事態が待ち構えているか憂慮せざるを得ない。 逆に言えば、今回の出来事は「日本人」なるものの線引きの空虚さ/恣意性を雄弁に語るものでもある。実際、『世界民族問題事典』(平凡社、1995年、全1348頁)には世界各国の人口数千人の民族まで記載されているのに、日本のマジョリティ民族に関する記述は存在しない(『日本の民族差別』の著者・岡本雅享による指摘)。つまり、日本人とは「何民族」であるのか、法務省を含めて誰も答えられないのである。そして、それを考えなくてもよい――あたかも「日本人」なる「民族」が自然に存在しているかのように人々に思わせる――「仕掛け」が「戸籍」なるものの正体なのかもしれない。 このような昨今の情勢下で、遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人』(明石書店、2013年)はまさにこの「戸籍」なるものの「権力作用」を政治学的に分析した本としていまこそ手に取られ、語られるべきであろう。本書は「国籍」とは異なる日本独自の制度である「戸籍」がどのように制定され、いかに国家によって活用され、人びとの考えを規定してきたのかを明治から現代にいたるまでの歴史を紐解きながら、空間的には日本内地、沖縄、朝鮮半島、満州国、台湾や樺太の「戸籍制度」まで触れながら明らかにした射程の広い本である。 近代法において戸籍法は、婚姻、相続、親族関係に関する規定を実行するための手段としての、法理論上は民法における単なる「手続法」でしかない。実際、日本社会のマジョリティにとっては、「戸籍」というものを明確に意識するのはパスポートを取得したり、人生上の「イベント」を遂行する際に法手続き上必要になったときのみである。そして、大抵において本籍地と現在の居住地が食い違うため、わざわざ本籍地の自治体から戸籍抄本を取り寄せなければいけなかったりなど、戸籍と現実の乖離にイライラしたときだけ「戸籍」が気になるだけである。したがって、戸籍法を丹念に読んでもそこには「差別的」な言葉は記載されていない(法律には必ずあるはずの立法の精神や目的すらも記載されていない)。 しかしながら、かつて大日本帝国憲法下においては、植民地である朝鮮半島や台湾の在住者と、内地人とは異なる戸籍制度に分別されて整理されており、いずれも「日本人」として包摂しながらも「異なる人」として厳密に「区別」されていた。よく知られているように、日本人とは単一民族であるという神話が生まれたのは戦後であり、それ以前は多民族国家であることを日本は謳っていたわけであるが、その実態は法制上/行政手続き上の「区別」を駆使して「差別」を行う体制であった。 そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日、日本に在住していた朝鮮人・台湾人という旧植民地出身者が日本国籍を一斉に喪失するものとされ、その法的地位が「外国人」として確定されたが、日本政府が「日本人」か「外国人」かという一線を画する基準としたのが日本(内地)の戸籍に入っているか否かという「戸籍主義」なのであった。以上のように戸籍法は政府によってご都合主義的に利用されてきたのだが、その積年の効果として「日本人」であるならば必ず戸籍を持っているとか、どこの「籍」にも入っていないのは普通ではないというような、戸籍をめぐる集合意識を作り上げた。法学者・山主政幸はこれを「戸籍意識」と呼んだが、それは冒頭に触れたように現在まで及んでいると考えるべきだろう。 戸籍の管理によって日本人なるものの「純血性」を守ろうという血統主義は、しかしながら戦前においても貫徹したものではなかった。「家」の本籍は外地/内地を跨ぐことはなかったが、外地人と内地人の間で婚姻関係が結ばれ、相手方の「家に入る」という場合、本人の籍は内地人/外地人を越境してしまう。つまり、「入籍」が「血統」を無化してしまうのであった。また、戸籍には重国籍を防ぐ役目も期待された。だが、グローバル化が進む現代では世界的には重国籍は認められる傾向にある。他方で重国籍を認めない日本の戸籍制度は、社会に住まう者たちに「あちらの国」か「こちらの国」かの二者択一を迫り、その結果、例えば国際結婚をした家族の間に分断を招いてもいる(「日本人」と「在日」の結婚を含む)。 このような戸籍制度の持つ様々な矛盾は、韓国や台湾では1980年代後半以降の民主化の流れの中で問題視され、両国では事実上廃止された。「区別」という名の「差別」を生み出す「戸籍制度」にいかに向き合うのかは、社会に住まうマジョリティの「差別」への感度を試すリトマス試験紙の役目を果たしていると言えるだろう。「差別ではない、区別だ」と時折聞く言葉は、実に日本的な差別のやり方を表わしているのだ。 (社会学) |
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